漆絵(読み)うるしえ

  • うるしえ ‥ヱ
  • うるしえ〔ヱ〕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

(1) 浮世絵の一様式。紅絵 (べにえ) に次いで現れ,髪,帯,など黒色の部分を (にかわ) のきいたで筆彩色したもの。乾くとのような光沢が出るため漆絵と呼ばれた。同時に雲母などを蒔 (ま) いたものも多い。奥村政信発案といわれ享保~寛保期 (1716~44) 頃流行した。 (2) 彩漆 (いろうるし) で描いた絵。単色で描くものと各色の彩漆で描くものとがあり,銀箔金箔を併用したものもある。飛鳥時代の法隆寺の『玉虫厨子』は,黒漆地に各色の彩漆を用いた日本で最古の例。中国では戦国時代の遺例があり,漢代の朝鮮,楽浪郡出土の漆器には3色の漆絵がある。現在,各地方産の日用漆器に特色ある漆絵が施されている。

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百科事典マイペディアの解説

(1)漆に顔料をまぜた色漆で描いた絵。朱・・緑・褐・黒の5色があり,白色や中間色は,明治時代になってできた。中国では周時代からあったと記録され,秦・漢時代の遺品もみられる。日本でも縄文時代の発掘品で漆絵と思われるものがあるが,法隆寺玉虫厨子(ずし)に描かれた絵が最古の伝世品といえる。近世になって日常漆器の装飾に盛んに用いられ,また各地で地方色豊かな漆絵が発達した。(2)墨摺(すみずり)絵・丹(たん)絵に続き18世紀前半に流行した筆彩版画。(にかわ)の強い墨が漆のような光沢を出すのでこの名称がある。紅,黄,藍など派手な色彩を施したもので,紅絵とも呼ばれたが次期の紅摺絵との混同を避けて現在では漆絵の語を用いる。
→関連項目石川豊信浮世絵奥村政信漆器柴田是真谷田忠兵衛西村重長

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世界大百科事典 第2版の解説

透漆(すきうるし)に顔料を混じて描いた絵。中国ではきわめて古くから行われた手法で,河南省洛陽県金村,湖南省長沙などの古墓から出土した戦国時代の漆器に見られ,技術は漢代に頂点をなした。朝鮮楽浪郡遺跡,馬王堆漢墓出土の漆器がその代表例で,精緻な漆絵が器全体に描かれることが多い。おおかたは朱線だが黄,緑,青などがまれに見られる。中国におけるその後の遺品をたどることは困難だが,14世紀以降,漆器は漆絵よりも彩漆(いろうるし)による屈輪(ぐり),塡漆(てんしつ),存星(ぞんせい),紅花緑葉などの技法が多く用いられたようである。

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大辞林 第三版の解説

漆で描いた絵。色漆を用いたものと、漆で絵を描いた上に色粉を蒔いたものとがある。中国周・漢代の漆器にすでに見られ、日本では法隆寺玉虫厨子の絵飾りなどに見られる。
浮世絵版画の一。髪などを表現するのに、墨などに膠にかわを混ぜたものを用い、漆のような光沢をねらったもの。奥村政信の創始という。
漆で紙や帛はくに描いた絵。明治初期、蒔絵まきえの名工柴田是真が創始。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

漆に絵の具を混ぜた色漆で描いた絵のこと。おもに工芸品の装飾に用いられている。漆の特殊な性質上、どんな顔料でも自由な色が出せるというわけにはいかず、発色に限度があって、古くから黒、朱、黄、緑、茶褐色に限られていた。遺品としては、中国・湖南省長沙(ちょうさ)や河南省信陽から出土した戦国時代の工芸品に色漆で動物文や雲気文を描いたものや、朝鮮・楽浪(らくろう)出土品の人物画像彩篋(さいきょう)などがあり、漢代に漆絵の盛行をみたらしい。日本ではこうした中国・漢代の伝統を受け継ぎ、法隆寺の玉虫厨子(ずし)はわが国最古の漆絵の遺品である。わが国では平安・鎌倉両時代を通じても残るものはきわめて少なく、金・銀を用いた蒔絵(まきえ)のほうをより好んだとみられる。しかし桃山時代になって漆工芸が盛んになると、意匠や技法のうえにも新趣向を取り入れ、漆絵も盆、食器、膳(ぜん)など日用品に盛んに施され、愛用されるようになった。[永井信一]

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙
① 色漆で描いた絵。中国では周代にみられ、朝鮮楽浪郡の古墳からも精巧な漆絵のある漢代の漆器を出土。日本には法隆寺金堂の玉虫厨子(ずし)に描かれたもの、正倉院御物の弾弓に描かれた黒漆の鼓楽伎曲の図などがある。
※延喜式(927)一三「漆絵花盤十六口」
② 浮世絵版画の一つ。江戸初期に奥村政信が創案したとされる。墨などに膠(にかわ)を混ぜて漆のような光沢をねらったもの。金泥なども用いた。
※黄表紙・御存商売物(1782)上「浦島太郎がわかひ時分にて、漆絵といふがはやって」
③ 漆で紙または帛に描いた絵。明治の初年、蒔絵の名工、柴田是真がはじめたもの。
※こしかたの記(1961)〈鏑木清方〉柴田是真とその一門「木版の絵と、独特の漆絵もあったが」

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世界大百科事典内の漆絵の言及

【浮世絵】より

…丹絵は元禄から享保(1716‐36)初年にかけて行われた。
[紅絵,漆絵]
 享保初年は丹に代わって主調色を紅とした〈紅絵(べにえ)〉が生まれ,寛保年間(1741‐44)まで盛行した。紅は紅花の花弁から作られた鮮紅色の絵具で,澄明感のある優しい色合を特色とする。…

【漆工芸】より

…器物に漆を塗り,その上に蒔絵や漆絵などの加飾をほどこした工芸。漆器は日本,中国,朝鮮,台湾,タイなどで産出し,その国の風土に適した技法が発達した。…

【柴田是真】より

…弘化年間(1844‐48)に青海波塗を復活させ,青銅塗,石目塗などの新しい漆塗法を工夫している。明治初年には和紙に彩漆(いろうるし)で絵を描く漆絵を試み,油絵のような効果を生みだした。彼の漆器制作はすぐれた画技によって下絵から仕上げまで自ら行う独自のもので,奇抜な趣向の器形と意匠がよくあっている。…

【朝鮮美術】より

…統一新羅時代には官営工廠である漆典が設置され,漆器の製造が盛んになった。作例は慶州雁鴨池(がんおうち)出土の多量の漆器断片で,なかでも珍しいのは黒漆地に朱と黄2色の色漆で文様を描いた漆絵断片と,朝鮮では初めての出土例である黒漆平脱(へいだつ)文の断片である。黒漆平脱(平文(ひようもん))の出土は唐代漆芸の新たな受容を端的に示すものである。…

【密陀絵】より

…日本における古代の遺例は法隆寺釈迦三尊台座(623)や《玉虫厨子》である。両者の絵は密陀絵か漆絵か議論があるが,朱黄緑色の筆致には粘りがあるという。朱を除き,これらの色は当時漆で発色させるのは不可能と思われる。…

※「漆絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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