大阪府南部にあり、大阪湾に臨む市。大阪湾泉州沖5キロメートルの海上に位置する関西国際空港(1994年開業)の陸路玄関口にあたり、空港とは関西国際空港連絡橋で結ばれている。1948年(昭和23)市制施行。1954年日根野(ひねの)、長滝(ながたき)、大土(おおつち)、上之郷(かみのごう)、南中通(みなみなかどおり)の5村を編入。佐野の地名は「狭野」に由来するといわれる。地形上、狭い海岸平野から泉南丘陵さらに和泉(いずみ)山脈と、北に低く南に高い。海岸近くに国道26号、南海電気鉄道南海本線、山の手にJR阪和線が並行して走り、大阪、和歌山両市を結ぶ。また南海電鉄は空港線、阪和線は関西空港線を分岐している。阪和自動車道と関西空港自動車道が通じる。平安時代、熊野街道に沿う要地として市(いち)が立ち、「佐野の市」で知られた。近世には廻船(かいせん)問屋町として栄え、海浜の干鰯(ほしか)(肥料)、農村の和泉白木綿の集散地となり、食野(めしの)家、唐金(からかね)家などの豪商を輩出した。明治以降、和泉綿からタオル製造に転換し、全国に知られる。主産業はタオルを中心に綿糸、綿布や紡織関連の杼(ひ)(シャットル=シャトル)、木管などがある。ほかにワイヤロープ、洋傘骨や高圧電気用碍子(がいし)などを特産する。臨海埋立地に食品コンビナートが設置され、冷凍魚、のりなど食品工業も盛ん。近郊農業としてタマネギ、西洋野菜、ミカンの栽培が行われ、特産に水ナスがある。和泉山脈の犬鳴山(いぬなきやま)は史跡、伝説に富み、日根荘(ひねのしょう)の荘園遺跡が残り(国指定史跡)、和泉五社に数えられる日根神社に隣する慈眼院(じげんいん)の金堂(1271年建立)は国の重要文化財、多宝塔は国宝に指定されている。そのほか、意賀美神社(おがみじんじゃ)本殿、奥家住宅が国の重要文化財に指定されている。面積56.51平方キロメートル、人口10万0131(2020)。
[位野木壽一]
『『泉佐野市史』(1958・泉佐野市)』▽『『新修泉佐野市史』全13巻(1999~ ・泉佐野市)』
大阪府南西部の市。佐野町が1948年市制,改称。人口10万0801(2010)。犬鳴山のある和泉山脈から北へ丘陵が連なり,大阪湾岸には海岸平野が広がる。中世には熊野街道に沿って市場町が成立し,九条家領日根荘が経営されたが,江戸時代には綿作,サトウキビ栽培とともに水産業が盛んとなり,沿岸のイワシ漁業や九州・関東方面への出漁の基地であった。佐野には水産物の集散と関連して海運業が発達し,豪商・廻船問屋が活躍した。和泉木綿の伝統を有する綿糸・綿布の織物工業は,明治中期ごろからタオルの集中生産へと特化し,現在は愛媛県今治市とともにタオルの二大産地をなす。この産業と関連したシャトル,木管などの織機部品業,高圧電気用碍子(がいし),自転車用スポーク,ワイヤロープなど特色ある工業も存在し,阪神工業地帯の一翼をになっている。南海電鉄本線,JR阪和線が大阪市から通じるため近年住宅建設が急速に進み,また泉佐野漁港が整備されて総合食品センターと大型遠洋漁船基地が完成した。1994年関西国際空港が開港してその玄関都市となり,〈大阪りんくうタウン〉ができるなど,大きく発展している。阪和自動車道が通り,関西空港自動車道が分岐する。国宝指定の多宝塔をもつ慈眼(じげん)院,意賀美(おかみ)神社,佐野王子跡などの史跡,文化財がある。周辺の泉南地方一帯では,稲作の裏作としてタマネギ栽培が盛んである。
執筆者:服部 昌之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…大阪府泉佐野市南西部の旧名。和泉国日根郡に属し,平安時代末期に佐野荘が立荘され,近世には佐野村となった。…
※「泉佐野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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