国指定史跡ガイド 「泉福寺洞窟」の解説
せんぷくじどうくつ【泉福寺洞窟】
長崎県佐世保市瀬戸越町にある洞窟。相浦川(あいのうら)川左岸の標高約90mの丘陵地斜面に、4つの小洞窟が南向きに開口し、斜面下の谷には湧水があって、住居として利用されたと推測される。1969年(昭和44)に中学校の生徒が発見し、翌年から10年かけて発掘調査された。洞窟には12層の土層が堆積しており、洞窟基盤すぐ上の最深部12層と11層から土器は出土せず、ナイフ形石器が出土した。この剝片の鋭い側縁を片刃にした石のナイフは、後期旧石器時代の特徴的な遺物である。10層からは細石刃(さいせきじん)と、豆粒文(とうりゅうもん)土器、隆線文(りゅうせんもん)土器が見つかり、さらに上層では爪形文(つめがたもん)土器、押引文(おしひきもん)土器が確認され、土器の変遷が理解できる。豆粒文土器は、わが国における最古段階の土器の一つと考えられ、薄手で口縁がやや内彎(ないわん)した深鉢形土器で、外面に名称の由来である小さな豆粒状の粘土が規則的に貼り付けられている。大量に出土した石器の種類は細石刃、細石刃核を主体とし、それに掻器(そうき)・彫器(ちょうき)・削器(さっき)・尖頭器(せんとうき)・石刃・礫器(れっき)・敲石(たたきいし)・有溝砥石(ゆうこうといし)と多様である。この細石刃を中心とした多量の石器類の組み合わせからも、旧石器時代から縄文時代への移行のありかたが理解できるうえに初期の土器の変化を知ることができるなど、高い学術的価値をもっている。1986年(昭和61)に国の史跡に指定され、1996年(平成8)には出土品が一括して重要文化財に指定された。松浦鉄道西九州線泉福寺駅から徒歩約10分。