改訂新版 世界大百科事典 「法曹社会主義」の意味・わかりやすい解説
法曹社会主義 (ほうそうしゃかいしゅぎ)
Juristen-Sozialismus
マルクス経済理論がリカード派社会主義からの剽窃(ひようせつ)だとする議論を含むA.メンガーの著《全労働収益権史論》(1886)へのF.エンゲルス(一部はK.カウツキー)の反論論文《法曹社会主義》(1887)において創出された概念。〈法曹社会主義〉という嘲笑的意味を含んだ言葉が生まれ,メンガーがその代表者とみられた。この論文は,その冒頭において大略以下のようにいう。中世の世界観は〈神学的世界観〉だったが,市民層の勢力の発達とともにその世俗化形態たる〈ブルジョアジーの古典的な世界観〉=〈法学的世界観〉が登場した。それは,経済的・社会的諸関係は教会や教義によってではなく,法と国家によってつくられると考える。このような議論で始められたのは,平和的・改良的な社会主義立法--物権,債権,相続各法等の伝統的財産法の根本的改革→生存権,労働権,全労働収益権の3基本権の実現--をとおして資本主義秩序を変革し,経済主義偏重を排そうとする法哲学者メンガーの主張が,マルクス主義の歴史観・革命観に根本的に対立しているという点に問題の核心があるからである。法的概念をとおして現代法哲学の最重要課題たる〈社会主義の法学的再構成〉を企画するメンガーをエンゲルスはブルジョア的な〈法の地盤〉〈法学的世界観〉をこえていないとする。この背後には国家を階級抑圧と搾取のための機関ととらえ,それに国家死滅論を結びつける立場と,国家は力関係の変化により人民大衆の利益をその活動の主要目的となし,資本主義的秩序の廃棄,社会主義建設への積極的役割を果たす槓桿たりうると評価する立場との対立が潜んでいる。これはマルクスとラッサールの対立に淵源し,第1次大戦,ロシア革命後の状況の中で前者はレーニンに,後者はメンガーを経てK.レンナー,ケルゼン等に継承され,前者はプロレタリア独裁と親縁性をもち,後者は民主主義的形式をもつ国家肯定論的社会主義へと展開していく。ドイツ,オーストリアの社会主義理論家の多くは,とくに第1次大戦後の政治状況の中で--またベルンシュタインによる《ラサール全集》の発行による刺激等もうけながら--後者の傾向を強めていく。このような事態を予示するものとして,エンゲルスと〈法曹社会主義〉者メンガーとの対立は現代国家論,社会主義論,国家論にまで及ぶ内容を秘めていたものということができよう。
執筆者:今井 弘道
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報