プラハ生れのオーストリアの法学者。ユダヤ系の小実業家の子に生まれ,ウィーン大学卒業後,精神的・経済的苦境にもめげずドイツの各大学に留学。1911年ウィーン大学私講師,17年同員外教授,19年同教授となった。第1次大戦後のオーストリア共和国憲法を起草し,その中で憲法裁判所制度を導入して,みずからもその判事となった。しかし,30年国内の政争を避けてドイツのケルン大学へ移り,33年ナチスの政権掌握後は,その迫害を逃れてジュネーブやプラハを転々とし,40年に渡米。一時ハーバード大学に籍をおいた後,42年カリフォルニア大学(バークリー)に移り,45年同大教授となった。彼は,ユダヤ人であるがゆえに心安らぐことのない人生を送ったが,その業績は多方面に及ぶとともに,批判精神に満ちあふれ,既存の理論の矛盾や混乱を鋭く抉(えぐ)りだすものとなっている。
ケルゼンの業績は,いちおう法理論的側面と法思想的側面とに大別できる。主要著書としては,前者では《国法学の主要問題》(1911),《純粋法学》(1934,第2版1961),《規範の一般理論》(遺稿,1979)等,後者では《民主主義の本質と価値》(1920),《社会と自然》(1943),《正義とは何か》(1957)等がある。まず法理論的側面に関しては,とくに実定法の一般理論としての純粋法学の創唱が有名である。それは,学問的方法としての認識と価値判断との峻別,認識対象における事実と規範の二元論,さらに規範に関する論理主義的発想等を根本として,実定法体系の構造を純粋に,すなわちいっさいのイデオロギーの混入を排して記述しようとするものであり,いわゆる法実証主義の一典型をなす。純粋法学によれば,規範は一般にそれ自体独立した存在性格をもつ思考内容であって,とくに法規範は,法的要件と法的効果とを〈帰報〉という当為の必然的連関として結合するものであり,第一次的には違反行為に対する制裁可能性を表現する実定法規そのものにほかならない。また,これらの法規からなる実定法は,全体として一つの体系をなしており,そこには,上位の法が下位の法に対してその定立を授権するという階層的秩序が見いだされ,その究極的な根拠は,実定憲法をも超えた仮設的な根本規範である。ケルゼンのこの理論は,マールブルク学派の新カント主義,とりわけH.コーヘンの構成主義的認識論と軌を一にするものと指摘され,そう理解されたこともあるが,着想においてはそれとは独立のものである。ケルゼンは,このような視点から,公法学や国際法学に関しても多大の寄与をなした。法思想的側面の中心眼目は,イデオロギー批判にある。その俎上にあがったのは,とくに自然法論とマルクス主義であった。ケルゼンによれば,自然法論もマルクス主義法理論もともに価値絶対主義に基づくものであり,その限りで独裁制に走りやすい。とくに自然法論は,社会秩序を自然の秩序に投影して神の支配する宇宙という観念を構成し,その観念を改めて地上に投影して社会秩序を正当化するという,未開人の思惟様式とまったく同じ擬人的・目的論的宇宙観に基づいており,近代の科学的・因果的世界把握からはほど遠いものである。また,マルクス主義の説く原始共産制や未来における共産主義社会の到来は,〈自然の秩序〉や〈黄金時代〉への信仰や終末論的信仰の一変種にすぎない。ケルゼンは,これらを批判して,上記の二元論や価値相対主義を対置させ,自由と寛容を重んじる民主主義の立場を擁護する。彼においては,イデオロギー批判と民主主義の擁護とは表裏一体の関係にある。
ケルゼンの主張は,賛否両論ともに多大の反響を呼んだが,日本,イタリア,中南米等で多くの支持者を得,さらに渡米後は英米の分析法理学的研究を促進させるきっかけをもつくった。とくに日本では,横田喜三郎,尾高朝雄,宮沢俊義ら多くの公法学者,法哲学者に多大の影響を与えてきた。とりわけ,太平洋戦争前には右翼・国家主義的思想の批判に,また戦後はマルクス主義やキリスト教的自然法論の批判に大きな力があった。現在では,それに加えて新たな哲学的関心からも,多くの研究者をひきつけている。
執筆者:長谷川 晃
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…彼によれば,民主主義は議会によってではなく,国民の歓呼とアクラマチオAkklamatio(喝采)によって支持される独裁によってこそ,よりよく実現されるというのである。シュミットの反議会制論に対し,ケルゼンは,1791年フランス憲法流の議会制が民主主義と両立しないことをするどく指摘しながらも,それとは別に,民主主義によって現代議会制をあらためて基礎づけなおし,民主主義的要素をつよめることによって,議会制を改革――否定でなく――しようとし,人民投票や人民発案,政党を媒介とする議員へのコントロール,比例代表制などを,そのための有用な手段として位置づけ,議会制を否定することは,とりもなおさず民主主義を否定することになるとして,シュミット的な反議会制論に反論した。 議会制民主主義の危機は,議院内閣制の統治形態のもとで,まず,行政府を支えるべき議会多数派が安定的につくりだされなくなるために,内閣の弱体・不安定という形であらわれ,さらにまた,議会がその本来的任務である立法機能自体を円滑に果たすことができなくなって,行政府による立法(委任立法や緊急権にもとづく立法)が日常化してくる。…
…H.ケルゼンによって主張された,法を政治的・倫理的評価や社会学的関心から分離し〈純粋に〉研究しようとする法理論。純粋法学は私法と公法の区別を否定し,実定法の一般理論をめざすものである。…
…こうして,討論と結びついた議会での多数決,すなわち議会制民主主議が否定されて,討論ぬきの大衆の喝采による独裁が主張され,かつ,実現した。その時期に,討論にもとづく多数決の意味をあらためて位置づけなおし,その基礎のうえに議会制民主主義の擁護を説いたのがH.ケルゼンである。彼は,比例代表制のもとで,議会に対立的な利益が反映され,それらの間に妥協・調整をおこなうためのものとして討論を位置づけ,その際,少数が多数意思形成に及ぼす影響を重視して,多数決は〈多数・少数決原理〉と呼ばれるべきだという。…
…その理論には,着目する問題の性質に応じて二つの型がある。その1は,民主主義を狭義の政治社会の組織原理として論ずるもので,たとえばワイマール共和国時代のH.ケルゼンにみられるものである。ケルゼンは《民主政治と独裁政治》(1929)の中で,民主主義とは社会における法として支配する意思の形成手続に社会成員の最大限が参加することであり,また,この意思に拘束される指導者が,そのメンバーの中から自由な競争によって選出されることであるとした。…
※「ケルゼン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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