流行神(読み)はやりがみ

精選版 日本国語大辞典 「流行神」の意味・読み・例文・類語

はやり‐がみ【流行神】

  1. 〘 名詞 〙 ある土地で一時的に爆発的な人気を呼び、多くの信者や参詣人をもつ神。
    1. [初出の実例]「とし徳や来る春毎のはやり神〈重良〉」(出典:俳諧・小町踊(1665)ちらし)

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改訂新版 世界大百科事典 「流行神」の意味・わかりやすい解説

流行神 (はやりがみ)

一時的に信仰を集める神仏に対する名称であり,民間信仰の中にしばしば見られる現象である。時花神と書いて〈はやりがみ〉と訓じた例もあり,これは花が咲くように,一時的にぱっと流行し,すぐ衰えていくという時間の経過を反映している。だからはやりすたることが,大きな特色となっているのである。一般に流行現象は,空間的な広がりを意味している。流行神の神格を中心に,霊験(れいげん)が説かれると,それが伝播して同信者に支えられた信仰圏が形成される。流行神がすたれることは,流行現象が停止することであるが,それは一方では流行神が定着して習俗化したことを意味する。したがって流行現象は風俗としてとらえられる反面,流行の衰退した後の現象については,民俗としてとらえられる可能性を示している。

 江戸時代の口碑に,〈神も仏も世間的〉とか〈朝観音夕薬師〉〈鰯の頭も信心から〉などがある。いずれも庶民の民間信仰の実態を示す内容である。これらの表現を生みだした背後には,江戸時代の都市社会に展開した流行神仏の状況が存在したといえるだろう。流行神の具体例として,江戸浅草の北側にあった立花家下屋敷の屋敷神である太郎稲荷は,1803年(享和3)に流行しだしたが,半年ほどですたれた。流行しているときは,〈諸人参詣群集し,近辺酒食の肆夥しく出来,賑やか〉な状況であったが,すたれてしまうと〈元の田舎のことし〉と《塵塚談》に記されている。ところがこの太郎稲荷は,約30年後の天保年間(1830-44)にふたたび流行しだしたという。流行しないときは,名もない小祠としてひっそりまつられているが,突然として流行すると,門前市をなすありさまとなったのである。

 古代社会の代表的な事例は,7世紀の皇極期に現れた常世神(とこよがみ)である。東国富士川のあたりに生じ,諸人の熱狂的な信仰を集めた。常世神は地方豪族であった大生部多が,常世の虫と称する神体をまつったことに発し,その信仰圏は広がって,ついに都に及んだため,中央政府により邪教として弾圧された。945年(天慶8)には,志多羅神(しだらがみ)と称する正体不明の神格が,京を混乱に巻き込む一件があった。志多羅神入京を期待する熱狂的な民衆の信仰として知られている。1085年(応徳2)に京都で,福徳神が流行した。京の辻ごとに,小祠が作られ,鳥居まで置かれて,福徳神,長福神と称された。この祠の前に群集が集まってくるので,検非違使が破却を命じたという。江戸時代初頭に,中部,東海地方に流行した鍬神(くわがみ)信仰は,伊勢の御師(おし)が,神田の種下ろしに使ったという鍬を神体にして,村から村へ送りながら踊り歩くという現象で,豊穣を祈願する祭りとみられている。これはやがてくり返し流行するようになった〈お蔭参り〉や〈ええじゃないか〉の現象にも通じていくと思われる。1727年(享保12)に,江戸に常陸国から大杉明神(あんば大杉)が飛来してきて狂乱状況になった。大杉明神は,利根川周辺の疫病よけで知られる神格であったが,江戸に大流行したのである。こうした現象の背後には,それぞれ対応する歴史的事実がある。たとえば常世神は大化改新の直前であり,志多羅神は将門の乱の起こる前である。福徳神の場合は,後三年の役が起こっている最中であった。大杉明神流行の後には,江戸に大洪水が起き,飢饉が起こり,打ちこわしが頻発するようになった。つまり流行神現象の基底には,社会不安や,ある種の社会変動が伴っていることが推察されてくる。かつて柳田国男は,流行神について,〈多数民衆の心理には究竟不可思議の四字を以て答へざる能はざる現象〉(《石神問答》)と指摘した。

 流行神出現の形式については,(1)天空飛来型,(2)海上漂着型,(3)土水中出現型の三つのタイプがあり,その際,霊験を誇張して説く傾向があり,それを説明するために,しばしば神がかりの形式がとられている。たとえば,日本橋翁稲荷の縁起によると,宝暦(1751-64)のころ,道路補修工事があり,地面を掘ると,銅製の稲荷の神像が出てきた。町内の者が番屋に安置しておいたところ,番屋は不浄だからというので火除地に小祠が設けられて,翁稲荷としてそこにまつられた。そして地域の氏子だけが初午のときにひそかにまつるふつうの稲荷の小祠となった。ところがあるとき,鳶(とび)の一人が,祠の近くに小便をして汚した。その後火事が起き,その鳶の者も火消に加わったが,大やけどを負った。意識不明の男が突如神がかり状態となり,大声をあげてわが清浄な場を汚したことを怒り,罰するといいながら,その男は狂い死にしてしまった。これを見た人々は神罰が下ったと恐れ,翁稲荷をさらに丁重にまつった。そのことが世間に知れわたり,たちまち群参がはじまり,供物・絵馬が数多く供えられるようになった。境内も広くなり,石のりっぱな鳥居や玉垣も作られ,毎月午の日は信者たちで立錐の余地のないありさまという。こうした流行神出現の状況には,類型的要素があり,日本の宗教史の上にくり返して,通時的に発現しているといえるのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「流行神」の意味・わかりやすい解説

流行神
はやりがみ

突如として出現し、ごく短期間に爆発的に流行して熱狂的な信仰を集める神や仏の総称。よく知られているものに、7世紀に現れた常世神(とこよがみ)、10世紀の志多羅神(しだらがみ)、11世紀の福徳神、それに近世の鍬神(くわがみ)や幕末の「ええじゃないか」などがある。その性質上、信仰圏は地域的に制約されるが、かならず霊験(れいげん)をつくりだし喧伝(けんでん)する宗教者の存在が認められる。流行神の出現形式は、〔1〕天空飛来型、〔2〕海上漂着型、〔3〕土水中出現型に分けられるが、なんらかの社会的緊張感が高まる時期と符合することは注目される。なお、近世には、経済的基盤の不安定な寺院が、持仏(じぶつ)などに現世利益(げんぜりやく)的な霊験を付会(ふかい)して流行神を仕立て上げ、信者を獲得するといったこともみられた。

[佐々木勝]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「流行神」の解説

流行神
はやりがみ

突発的に出現し,一時的に熱狂的な信仰を集めながらも急速に信仰を衰退・消滅させてしまう神仏。この種の神仏の共通点は,雑多な神仏であること,信仰が流動的であること,霊験が個別的・機能的であること,信仰圏が限定されていることなどである。また出現にも土中出現・空中飛翔・水上漂着などの型がある。流行神創出と流行の背後にはつねに巫女や行者のような民間の宗教者が関与するが,近世には寺社が現世利益(げんぜりやく)的な霊験を故意に喧伝し,寺社経営の手段にした例もある。流行神の出現は社会変動の時期と呼応する例が多く,社会的緊張や社会不安からの救済を求める民衆によって,霊験ある新しい神仏が救済者として祭りあげられ,期待に応じられないものは祭り捨てられた。

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百科事典マイペディア 「流行神」の意味・わかりやすい解説

流行神【はやりがみ】

一時的・突発的に信仰されるが,急速に忘れられる神仏で,民間信仰にしばしば見られる。流行神現象は社会不安や,社会変動を背景とする場合が多い。7世紀大化改新(たいかのかいしん)の直前に出現した常世神(とこよがみ),945年地方農民層に推戴され入京した志多羅(しだら)神,近世初頭の鍬(くわ)神信仰,幕末の〈お蔭参り〉〈ええじゃないか〉も流行神現象といえる。

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世界大百科事典(旧版)内の流行神の言及

【浮世節】より

…邦楽の種目。江戸時代より流行歌(はやりうた)の別名として使われた。明治の中期から大正にかけ,寄席で人気のあった女芸人,立花家橘之助(たちばなやきつのすけ)が,1900年(明治33)に浮世節家元として公認され,一流派を立てた。…

【四つ竹】より

カスタネットに似ているが,演奏法はより単純である。元禄(1688‐1704)ころには〈流行歌(はやりうた)〉の伴奏に用いられたらしく《好色一代男》などに見えている。民俗芸能の伴奏楽器としても用いられる。…

※「流行神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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