三河国矢作(やはぎ)地方などの伝説や《浄瑠璃物語》に登場する女主人公。《浄瑠璃物語》によれば,源中納言兼高と妻の遊君矢作の長者とが峰の薬師(鳳来(ほうらい)寺)に申し子をして得た子。14歳のとき,金売吉次の供をして奥州に下る牛若(義経)と契ったとされ,駿河国吹上で病に死んだ義経を姫が蘇生させたとされる。また,三河国笹谷で義経が法華経と歌を回向(えこう)すると姫の墓の五輪塔が砕けて,奇瑞をみせたと伝える。これに類似した伝説を伝える所に,岡崎市内では成就院(明大寺町),光明院(康生町),誓願寺(矢作町)などがあり,静岡市清水区の旧蒲原町では七難坂,吹上六本松など,愛知県新城市の旧鳳来町長篠の笹谷などがある。この物語は峰の薬師の霊験利生譚であったものが,義経伝説に結びつけられたものと考えられ,本地物風の懺悔譚として念仏比丘尼,歌比丘尼や遊行の巫女たちによって伝承されたと考えられている。また,浄瑠璃御前の名は《師門(もろかど)物語》にもみえ,主人公師門の妻となっている。この物語も陸前国栗原郡と信濃国を往来する念仏の徒によって伝承されたと考えられている。
執筆者:山本 吉左右
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…なお,音楽史の側面は〈義太夫節〉の項目を,また歌舞伎への影響については〈歌舞伎〉の項目のうち[人形浄瑠璃との交流]を参照されたい。
【人形浄瑠璃の歴史】
[成立]
浄瑠璃は,三河国矢矧(やはぎ)の長者の娘浄瑠璃姫と牛若丸の恋物語で,《十二段草子》とも呼ばれ,中世後期から近世初期に多くの絵巻や草子に書き留められたが,本来は三河の巫女たちによって語られた女主人公をめぐる鳳来寺峰の薬師の霊験譚であったといわれる。その成立については,少なくとも1474年(文明6)ころには,薬師如来の申し子である姫の誕生,牛若との悲恋,死と成仏を語る現在の《しゃうるり御前物語》(山崎美成旧蔵)のごとき長編が都で行われていたと考えられ,1世紀余りのちの〈文禄から慶長への交〉には,外来の三味線を伴奏楽器として,傀儡子(くぐつ)の人形戯と結んで,人形浄瑠璃が成立する(《絵巻`上瑠璃’》および《しゃうるり十六段本》所収の信多純一説)。…
※「浄瑠璃姫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
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