浅草オペラ(読み)あさくさオペラ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

浅草オペラ
あさくさオペラ

大正中期に浅草興行界で民衆娯楽として栄えたオペラやオペレッタ,ミュージカルなど,音楽劇的要素をもった芸能の総称。 1916年,帝劇の洋楽部が解散し,その部員たちがそれぞれ一座を結成して浅草に進出したのに始る。 17~19年頃,原信子歌劇団,高木徳子の歌舞劇協会,東京歌劇座,少女歌劇団,清水金太郎の七星歌劇団などがあり,一座の離合集散はあったが,金竜館,三友館,日本館,観音劇場などを本拠に浅草オペラの全盛時代をつくった。 20年には,不況による衰退があったが,金竜館の座主根岸兄弟が再び歌手を結集して,根岸歌劇団を設立,23年の関東大震災で解散した。歌手に清水金太郎,清水静子田谷力三二村定一,柳田貞一,藤原義江らが出た。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

浅草オペラ

第1次大戦終結の前後から、関東大震災が起きる1923年ごろまで、東京の一大歓楽街・浅草公園6区(現在の浅草寺の西側)を中心に上演された大衆的オペラの総称。舞踊家石井漠声楽家の藤原義江、コーラスで参加していたエノケン(榎本健一)らスターが輩出した。

(2007-07-13 朝日新聞 夕刊 文化芸能1)

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デジタル大辞泉の解説

あさくさ‐オペラ【浅草オペラ】

大正時代、東京の浅草六区で上演されたオペラやミュージカルの総称。

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大辞林 第三版の解説

あさくさオペラ【浅草オペラ】

大正時代後半に浅草の大衆劇場で上演された歌劇・喜歌劇。1917年(大正6)に興る。清水金太郎・田谷力三・藤原義江などが活躍、絶大な人気を博したが、関東大震災で衰滅した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浅草オペラ
あさくさおぺら

大正中期に東京・浅草を中心に流行したオペラ(歌劇)の俗称。その多くは本格的な歌劇というよりは、もっと通俗的なものであった。1916年(大正5)5月、アメリカ帰りのトゥダンサー高木徳子(とくこ)の一座が浅草キネマ倶楽部(クラブ)でダンス、楽劇などをもって2日間の興行をしたのがその始まりである。通説ではこの高木が翌1917年2月に常盤(ときわ)座で新劇出身の伊庭孝(いばたかし)と組んで『女軍出征』(伊庭作)を上演して大当りをとったのが嚆矢(こうし)であるとされている。この公演には、先に解散した帝劇歌劇部の残党である沢モリノ、小島洋々らが参加した。のちにこの一座は歌舞劇協会と称した。続いて三友館に東京少女歌劇団が進出。さらに日本館に佐々紅華、沢モリノ、石井漠(ばく)らの東京歌劇座が旗揚げし、『女軍出征』とオペレッタ『カフェーの夜』を上演した。この2作品の主題歌が巷(ちまた)に流行、これが浅草オペラ隆盛のきっかけになったが、そのほか女優たちの官能的な魅力も人気のもとであった。1918年、帝劇から赤坂ローヤル館を経て清水金太郎・静子夫妻が加入、浅草では初の本格的喜歌劇『天国と地獄』を日本館で上演、大評判を得た。
 続いて観音劇場に原信子歌劇団が創設されたが、当初オペラに対して冷ややかだった地元の興行師たちも、高まるオペラ熱に驚き、なかでも浅草興行街の雄であった根岸興行部は金竜館に七声歌劇団を旗揚げ、さらに当時の名だたる出演者の大部分を引き抜き、その名も根岸歌劇団とした。これが俗に金竜館時代といわれる浅草オペラの黄金期(1920~1923)で、創作歌劇やオペレッタに交えて『カルメン』の本格的上演もなされ、田谷力三(たやりきぞう)のようなスターも生まれた。こうした状況に刺激されて各地にもオペラが広まり、群小歌劇団も数多く出現。「恋はやさし野辺の花よ」(ボッカチオ)や「風の中の羽根のように」(リゴレット)などの歌が流行するに至り、オペラの熱狂的な愛好者を意味するペラゴロなる新語もできた。これは俗にいわれているような「オペラのごろつき」の意味ではなく、オペラのペラとフランス語のジゴロgigoro(娼婦(しょうふ)のヒモ)とを組み合わせたものである。興隆期つまり日本館時代は、沢モリノと河合澄子がペラゴロを二分していたが、金竜館では田谷力三が圧倒的な人気を得た。1923年(大正12)の関東大震災を境に浅草オペラは凋落(ちょうらく)したが、いずれにしてもその歌や踊りを通じて当時の大衆に西欧趣味を理解させ、また後年レビューなどを制作するうえに大きな役割を果たした。[向井爽也]
『内山惣十郎著『浅草オペラの生活』(1967・雄山閣出版) ▽秋山竜英著『日本の洋楽百年史』(1956・第一法規出版) ▽清島利典著『日本ミュージカル事始め――佐々紅華と浅草オペレッタ』(1982・刊行社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

あさくさ‐オペラ【浅草オペラ】

〘名〙 (オペラはopera) 大正中期から関東大震災まで、東京の浅草六区で盛んに上演されたオペラやミュージカルの総称。

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世界大百科事典内の浅草オペラの言及

【浅草】より

…大正中期の浅草を象徴するのは,金竜館などで上演されたオペラと凌雲閣であった。1917年2月に誕生した浅草オペラは,新人田谷力三,藤原義江らの出現で人気を博した。凌雲閣(1890完成)は俗に十二階といわれた展望台兼レストランで,東京一の高さを誇る建物として連日見物客でにぎわった。…

※「浅草オペラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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