平安後期成立の物語。現存5巻であるが、首部に1、2巻の欠巻がある。藤原定家筆、御物本『更級(さらしな)日記』奥書に「常陸守(ひたちのかみ)菅原孝標(すがはらのたかすゑ)の娘の日記也(なり)。(中略)夜半(よは)の寝覚(ねざめ)、御津(みつ)の浜松、みづから悔(く)ゆる、朝倉などは、この日記の人の作られたるとぞ」と、『御津の浜松』(原題)の作者に関する伝承が記されているのと、夢の頻出や、その浪漫(ろうまん)的精神の共通性などより、『更級日記』の作者と同一である可能性がきわめて高い。冒頭散逸部を、『拾遺百番歌合(うたあわせ)』『無名草子(むみょうぞうし)』『風葉集』の引用記事や、現存部の内部徴証より推定すると、故式部卿宮男(しきぶのきょうのみやのむすこ)の源中納言(げんちゅうなごん)は、母が再婚した相手の左大将を疎むが、娘の大君(おおいきみ)とは深い仲となる。しかし亡父への慕情に耐えられないでいると、夢告に亡父が唐土の第三皇子に転生したとあり、渡唐するが、その後、残された大君は懐妊し、剃髪(ていはつ)して姫君を出産した。ここより現存巻一が始まり、渡唐した中納言は唐土の皇子に対面するが、その母であり、父を日本人にもつ河陽県の后(きさき)とひそかな間柄となり、悶々(もんもん)のうちに、唐后が生んだ男子を連れて帰国した。そして出家した大君と清らな仲を続けようと思うが、唐后の異母妹である吉野の姫君を引き取って苦悩するうち、姫君は好色な式部宮に誘拐(ゆうかい)され妊娠した。しかし身ごもった子が唐后の転生であるとの夢告に、唐后への愛を求める主人公は複雑な感慨に沈んだ。以上のように、場面が日本と中国とにまたがったり、夢告による転生を繰り返すなど新奇な筋立てではあるが、登場人物には『源氏物語』における光源氏、藤壺(ふじつぼ)、紫上(むらさきのうえ)、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)、薫君(かおるのきみ)、匂宮(におうのみや)たちが強い影を落とし、本質的にはその模倣の域を出ない。しかし、その浪漫的精神の特異性に目を向ければ、これが定家の『松浦宮物語(まつらのみやものがたり)』や、三島由紀夫(ゆきお)の『豊饒(ほうじょう)の海』執筆のモチーフとなった影響力が注目される。江戸初期をさかのぼる伝本がなく、本文上不明の箇所が目だつ。
[池田利夫]
『松尾聡著『平安時代物語論考』(1968・笠間書院)』▽『同校注『浜松中納言物語』(『日本古典文学大系77』所収・1964・岩波書店)』
平安後期の物語。作者は菅原孝標女(たかすえのむすめ)か。原名は《御津の浜松》で5巻現存,首巻散逸。故宮の息中納言は,義父の大将が式部卿宮に嫁がせると約束していた大将の娘大君と契り,大将を困惑させる。折から中納言は亡父が唐の皇子に転生していると伝聞し,夢にも見て渡唐する。そこで転生の皇子とその母后に会って,母后に心ひかれ,のち,はからずも契り男子が生まれる。この母后は遣日使と日本の上野宮との間の子であった。3年ののち,中納言は男子を連れて帰国して乳母に預ける。一方,渡唐の間に妻の大君は中納言の女子を生み尼となっていた。中納言は唐后に託された手紙を持って后の母尼を吉野に訪ねる。そこで中納言は后の異父妹吉野姫を託され,自分のもとに引き取ったが,好色の式部卿宮に盗まれる。悲しむ中納言の夢に唐后が現れ,自分は中納言の願いにひかれて転生して吉野姫の腹に宿ったと告げる。吉野姫は式部卿宮の子をはらんだ。中納言は夢を思い合わせて悲喜こもごもの思いだった。日本と唐を舞台に夢と転生をつづる浪漫性の色濃い物語で,三島由紀夫の小説《豊饒の海》にも影響を与えた。
執筆者:松尾 聰
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[沿革]
県域はかつての遠江(とおとうみ),駿河,伊豆3国のほぼ全域にあたる。江戸時代は広大な天領を駿府(すんぷ)(駿河),中泉(遠江),韮山(にらやま)(伊豆)の代官所が支配したほか,旗本領,沼津藩,浜松藩をはじめ中小の譜代諸藩,寺社領が複雑に入り組んでいた。1868年(明治1)徳川宗家の移封によって,駿河全域と遠江の大部分(一部に同年堀江藩が立藩),および東三河からなる府中藩(翌年静岡藩と改称)が成立,そのため駿河の沼津,小島(おじま),田中,遠江の相良(さがら),掛川,横須賀,浜松諸藩は,安房・上総両国に移された。…
…《吾妻鏡》の建長4年(1252)3月25日の条に〈昼引間,夜池田〉と見え,また《十六夜(いざよい)日記》にも引間宿に泊まるとあり,中世の紀行文などにはしばしば現れる。東海道交通の要地であるばかりでなく,浜松荘の荘園市場にはじまり,遠江の商業・流通の中心地として,とくに室町期には市も発達した。1456年(康正2)には徳政一揆が起こり,蒲御厨(かばのみくりや)の農民たちが引間市の土倉を襲撃した。…
※「浜松中納言物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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