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浜離宮庭園 はまりきゅうていえん

百科事典マイペディアの解説

浜離宮庭園【はまりきゅうていえん】

東京都中央区南部,隅田川河口部の右岸を占める庭園(特別名勝・特別史跡)。もと徳川将軍の鷹狩場であったが,1654年,松平綱重の下屋敷とされ,その子家宣が6代将軍となるに及び将軍家の別荘となった。
→関連項目中央[区]

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世界大百科事典 第2版の解説

はまりきゅうていえん【浜離宮庭園】

東京都中央区にある面積24.9haの庭園。もと将軍家の鷹狩の場所であったが,〈甲府宰相〉松平綱重の別邸となり,甲府屋敷といわれた。その子の家宣が6代将軍となるに至って浜御殿と称し,ふたたび将軍家の別墅(べつしよ)となる。大改修が行われ,現存のような庭園になったのは家宣が将軍職についた1709年(宝永6)ころで,中島茶屋,海手茶屋,観音堂,庚申堂などはこのころ建てられたと思われる。近衛家久をはじめ京都の公家がしばしば遊覧したのもこのころである。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浜離宮庭園
はまりきゅうていえん

東京都中央区にあり、隅田川河口の北西に位置する区域全体をさし、全体が恩賜公園。この地はもともと徳川将軍家の御鷹場(おたかば)であったが、『甲府日記』寛永(かんえい)9年(1632)11月29日の記などによると、その前年すでに海水を導いた池泉や築山(つきやま)がつくられており、庭園の一部ができあがっていたことが知られる。作者は、その日記によると、反町(そりまち)武兵衛と玄斎である。4代将軍徳川家綱(いえつな)から甲府宰相松平綱重(つなしげ)(3代家光(いえみつ)の第2子)の下屋敷(しもやしき)として下げ渡されたのは1654年(承応3)で、御浜御殿(おはまごてん)となり、甲府下屋敷、海手屋敷ともよばれた。当時は約1万5000坪(4万9500平方メートル)であったが、以後たびたび埋め立て、庭園の築造が重ねられて拡張され、現在の全面積は約7万5620坪(約24万9500平方メートル)に及ぶ。庭園は大池泉を中心にした大名好みの池泉回遊式総合園形式で、全体の景観意匠が主体で部分意匠をほとんどみせないのは、享保(きょうほう)(1716~1736)以降の改修部分の多いことを物語っている。
 綱重の子綱豊(つなとよ)が6代将軍家宣(いえのぶ)となったため、ふたたび将軍家のものとなって浜御殿と改称、茶屋、仏堂、鴨場(かもば)などもつくられ、薬園、火薬所なども置かれた。幕末の1866年(慶応2)には幕府海軍奉行(ぶぎょう)の所管となったが、1869年(明治2)明治政府外務省管轄となり延遼館が落成、翌年庭園が宮内省に移管、1884年には建物も宮内省に移管されて浜離宮となった。1945年(昭和20)11月3日、東京都の所管となり、翌年から浜離宮恩賜公園の名で一般公開された。旧浜離宮庭園の名称で特別史跡・特別名勝。[重森完途]

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