日本大百科全書(ニッポニカ) 「浜離宮庭園」の意味・わかりやすい解説
浜離宮庭園
はまりきゅうていえん
東京都中央区にあり、隅田川河口の北西に位置する区域全体をさし、全体が恩賜公園。この地はもともと徳川将軍家の御鷹場(おたかば)であったが、『甲府日記』寛永(かんえい)9年(1632)11月29日の記などによると、その前年すでに海水を導いた池泉や築山(つきやま)がつくられており、庭園の一部ができあがっていたことが知られる。作者は、その日記によると、反町(そりまち)武兵衛と玄斎である。4代将軍徳川家綱(いえつな)から甲府宰相松平綱重(つなしげ)(3代家光(いえみつ)の第2子)の下屋敷(しもやしき)として下げ渡されたのは1654年(承応3)で、御浜御殿(おはまごてん)となり、甲府下屋敷、海手屋敷ともよばれた。当時は約1万5000坪(4万9500平方メートル)であったが、以後たびたび埋め立て、庭園の築造が重ねられて拡張され、現在の全面積は約7万5620坪(約24万9500平方メートル)に及ぶ。庭園は大池泉を中心にした大名好みの池泉回遊式総合園形式で、全体の景観意匠が主体で部分意匠をほとんどみせないのは、享保(きょうほう)(1716~1736)以降の改修部分の多いことを物語っている。
綱重の子綱豊(つなとよ)が6代将軍家宣(いえのぶ)となったため、ふたたび将軍家のものとなって浜御殿と改称、茶屋、仏堂、鴨場(かもば)などもつくられ、薬園、火薬所なども置かれた。幕末の1866年(慶応2)には幕府海軍奉行(ぶぎょう)の所管となったが、1869年(明治2)明治政府外務省管轄となり延遼館が落成、翌年庭園が宮内省に移管、1884年には建物も宮内省に移管されて浜離宮となった。1945年(昭和20)11月3日、東京都の所管となり、翌年から浜離宮恩賜公園の名で一般公開された。旧浜離宮庭園の名称で特別史跡・特別名勝。
[重森完途]