大江卓(読み)オオエタク

デジタル大辞泉 「大江卓」の意味・読み・例文・類語

おおえ‐たく〔おほえ‐〕【大江卓】

[1847~1921]政治家実業家土佐の人。神奈川県権令としてペルー奴隷船から清国人を解放。1877年西南戦争に呼応して挙兵したが失敗し、翌年入獄。立憲自由党創立に参加したが、のち実業界に転じた。

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精選版 日本国語大辞典 「大江卓」の意味・読み・例文・類語

おおえ‐たく【大江卓】

  1. 政治家、実業家。土佐藩高知県出身明治五年(一八七二)神奈川県権令のときペルーの奴隷船マリア‐ルーズ号から清国人を解放。自由民権運動で活躍。のち、財界に転じたが仏門に入り、被差別部落融和事業に尽くした。弘化四~大正一〇年(一八四七‐一九二一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大江卓」の意味・わかりやすい解説

大江卓
おおえたく
(1847―1921)

明治・大正期の政治家、実業家、社会事業家。天也(てんや)と号す。弘化(こうか)4年9月25日、土佐藩の下級武士の家に生まれる。討幕運動に参加、1871年(明治4)穢多非人(えたひにん)の廃止を民部省に建議、翌1872年のマリア・ルーズ号事件に際しては神奈川県権令(ごんれい)として中国人奴隷を解放する。1877年、西南戦争に呼応した反政府挙兵に失敗し、翌1878年入獄。1884年に出獄後は大同団結運動、立憲自由党結成に参加し第1回総選挙に当選するが、政府と妥協して失脚。財界に転じ1901年(明治34)京釜(けいふ)鉄道株式会社の創立に参加する。1913年(大正2)には融和団体帝国公道会を設立し、1914年出家して政財界との絶縁を宣言する。以後、部落問題と取り組み、社会一般の啓蒙(けいもう)を行うが、治安対策的立場が強く、しだいに労働問題にも目を向けていった。大正10年9月12日死去。

[藤野 豊]

『雑賀博愛著『大江天也伝記』(1926・大江太)』『三好徹著『大江卓──叛骨の人』(学陽書房・人物文庫)』


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20世紀日本人名事典 「大江卓」の解説

大江 卓
オオエ タク

明治・大正期の内務官僚,政治家,実業家,社会運動家 大蔵省理事官;衆院議員;東京株式取引所副会頭;帝国公道会副会長。



生年
弘化4年9月25日(1847年)

没年
大正10(1921)年9月12日

出生地
土佐国幡多郡柏島(高知県)

旧姓(旧名)
斎原

別名
通称=秀馬,治一郎,卓造,号=天也

経歴
慶応3年土佐藩の陸援隊に入り倒幕運動に参加。明治元年鳥羽伏見の戦いに参加。維新後、兵庫県判事補、外国事務御用掛などを経て、上海渡航、帰国後神戸で穢多非人廃止運動。4年民部省、次いで神奈川県庁に入り、5年神奈川県令となり、ペルー国汽船マリア・ルーズ号の中国人奴隷売買を摘発、中国人苦力を解放。7年大蔵省理事官、8年退官、後藤象二郎蓬萊社に入った。10年西南戦争に挙兵をはかって11年投獄された。17年出獄、21年後藤の大同団結運動に参加、23年立憲自由党創立に参画し、同年衆院議員に当選、予算委員長などを務めた。25年落選、実業界に転じ、東京株式取引所副会頭、京釜鉄道重役などを務めた。42年財界引退、大正3年僧籍に入り、同年帝国公道会を創設、副会長に任じて融和事業など部落解放に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大江卓」の解説

大江 卓
オオエ タク


肩書
衆院議員,大蔵省理事官,東京株式取引所副会頭,帝国公道会副会長

旧名・旧姓
旧姓=斎原

別名
通称=秀馬 治一郎 卓造 号=天也

生年月日
弘化4年9月25日(1847年)

出生地
土佐国幡多郡柏島(高知県)

経歴
慶応3年土佐藩の陸援隊に入り倒幕運動に参加。明治元年鳥羽伏見の戦いに参加。維新後、兵庫県判事補、外国事務御用掛などを経て、上海渡航、帰国後神戸で穢多非人廃止運動。4年民部省、次いで神奈川県庁に入り、5年神奈川県令となり、ペルー国汽船マリア・ルーズ号の中国人奴隷売買を摘発、中国人苦力を解放。7年大蔵省理事官、8年退官、後藤象二郎の蓬萊社に入った。10年西南戦争に挙兵をはかって11年投獄された。17年出獄、21年後藤の大同団結運動に参加、23年立憲自由党創立に参画し、同年衆院議員に当選、予算委員長などを務めた。25年落選、実業界に転じ、東京株式取引所副会頭、京釜鉄道重役などを務めた。42年財界引退、大正3年僧籍に入り、同年帝国公道会を創設、副会長に任じて融和事業など部落解放に尽力した。

没年月日
大正10年9月12日

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改訂新版 世界大百科事典 「大江卓」の意味・わかりやすい解説

大江卓 (おおえたく)
生没年:1847-1921(弘化4-大正10)

明治の政治家,のち実業家。土佐幡多郡宿毛(すくも)に生まれる。名ははじめ斎原治一郎,のち土居卓造と称す。1867年(慶応3)土佐陸援隊に入り倒幕運動に参加。68年伊藤博文の推挙により兵庫県判事試補となる。71年〈穢多非人廃止建白書〉を民部大輔大木喬任に提出。72年神奈川県権令となり,外務卿副島種臣の命をうけて,横浜に寄港したペルー国汽船マリア・ルース号の中国人苦力虐待問題の裁判長となり,奴隷売買は人道に反すと判決して苦力231名全員を本国に送還さす(マリア・ルース号事件)。74年大蔵省に出仕したが翌年辞職。77年土佐立志社の一員として西南戦争に呼応しようとして林有造らとともに捕らえられ禁錮10年の刑に処せられ,84年出獄。87年大同団結運動に参加,90年立憲自由党創立に参画して代議士に当選。92年選挙に落選して政界を退き実業界に転ず。1909年まで東京株式取引所会頭,京釜鉄道株式会社重役などを務め,09年実業界も退き,14年僧籍に入り天也と号す。同年帝国公道会を創立して未解放部落の融和事業に専念。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「大江卓」の意味・わかりやすい解説

大江卓【おおえたく】

明治の政治家,実業家。号は天也。19歳で土佐(とさ)高知藩の陸援隊に入り討幕に参加。1871年,えた・非人の廃止を政府に建言。マリア・ルース号事件を処理。立志社の一員として西南戦争に呼応し挙兵を企て禁獄10年。大同団結運動に参加し立憲自由党再建に尽力し,政界引退後は東京株式取引所会頭などになり実業界で活躍した。1914年僧籍に入り,帝国公道会を創立,被差別部落の融和(ゆうわ)事業に尽力。
→関連項目陸奥宗光

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朝日日本歴史人物事典 「大江卓」の解説

大江卓

没年:大正10.9.12(1921)
生年:弘化4.9.25(1847.11.2)
明治期の内務官僚,政治家。土佐(高知)藩家老伊賀氏の家臣斎原弘の子,通称秀馬,治一郎,卓造。天也と号す。幕末に長崎で砲術を学び尊攘の志士として行動,明治1(1868)年兵庫県出仕を振り出しに神奈川県参事,同県権令を経歴。神奈川県権令の5年秋,ペルー船籍マリア・ルス号事件で中国人苦力を解放し,国際的に評価された。また芸妓・娼妓解放を手掛けた。大蔵省記録権頭の8年10月官を辞し,後藤象二郎の女婿となり後藤の高島炭鉱経営など事業に従事,10年には立志社挙兵計画の銃器購入を担当,11年捕縛され禁獄10年の刑に処せられ17年まで岩手監獄で服役。20年,後藤の大同団結運動の参謀になったが,後藤の入閣で運動は分裂した。最初の衆院議員総選挙(1890)では岩手県で出馬して当選,25年に実業界に転じ,東京株式取引所副会頭,朝鮮の京釜鉄道株式会社の創設に参画,朝鮮政府の顧問を務めたり中国大陸を漫遊して東亜同盟論を唱道,大正2(1913)年には帝国公道会を設立,被差別部落の解放運動を指導した。<著作>『鉄櫺詩存』<参考文献>雑賀博愛『大江天也伝記』

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大江卓」の解説

大江卓 おおえ-たく

1847-1921 明治-大正時代の政治家。
弘化(こうか)4年9月25日生まれ。賤民身分の廃止を政府に提言し明治4年実現。神奈川県権令(ごんれい)のときペルー船の中国人奴隷を解放する。岳父後藤象二郎の大同団結運動に参加。23年衆議院議員。東京株式取引所頭取など実業界でも活躍した。大正10年9月12日死去。75歳。土佐(高知県)出身。本姓は斎原。通称は秀馬,治一郎。別名に土居卓造。号は天也。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大江卓」の解説

大江卓
おおえたく

1847〜1921
明治・大正時代の政治家・実業家・社会事業家
土佐藩出身。1872年神奈川県権令としてマリア‐ルース号事件を裁いて名声をあげた。のち大同団結運動に参加し立憲自由党の再建に活躍。第1議会では予算委員長として政府と民党との妥協をはかり,衆議院議員落選後は実業界で活躍した。

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367日誕生日大事典 「大江卓」の解説

大江 卓 (おおえ たく)

生年月日:1847年9月25日
明治時代;大正時代の政治家;社会事業家。衆議院議員
1921年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大江卓の言及

【部落解放運動】より

…とくに江戸時代後期には,岡山藩で起こった渋染一揆をはじめ,厳しい支配と差別に対する抵抗が強まった。また幕末期には,加賀藩の千秋藤篤(有磯)や日出(ひじ)藩の帆足万里らが身分解放論を唱え,明治維新期には,加藤弘之や大江卓らが賤民身分の廃止を主張した。明治政府は1871年(明治4),その富国強兵政策の一環として,太政官布告により封建的賤民身分の廃止を宣言した(いわゆる〈解放令〉)。…

※「大江卓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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