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海北派 かいほうは

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

海北派
かいほうは

桃山時代の海北友松始祖とする漢画系の画派。友松は浅井家家臣,海北家の武人であるが,50歳代より本格的作画活動に入った。初め狩野派や宋元画を学んだが,のち独自の画境を開いて一家をなした。友松の嫡子海北友雪 (1598~1677) は,父の友人斎藤利三の娘春日局の眷顧により徳川家光の御用を受け,禁裏造営の際の絵師に加えられた。その後海北派は友竹,友泉,友三,忠馬,友徳,友樵と幕末まで続いて,代々禁裏御用をつとめた。しかし友松以後は個性豊かな傑出した画家は出ず,個々の画家の作品も少いため,友竹以降の海北派の実体はほとんど不明。

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大辞林 第三版の解説

かいほうは【海北派】

日本画の一流派。海北友松を始祖とし、安土桃山時代・江戸初期には、狩野・土佐・長谷川各派と並んで、画界の主要な位置を占めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

海北派
かいほうは

海北友松(ゆうしょう)を祖とし、安土(あづち)桃山時代より明治維新に至るまで続いた画派。その家系は現在も存続する。従来、友松を孤高の武人画家と解すあまり、はたして彼が一派を結成して流派活動に励んだかどうか否定的であったが、近年、友松様の人物画に長じた画人として鉄山東流や神前松徳(しんぜんしょうとく)、増田友柏(ゆうはく)などが紹介されたため、この問題は改めて俎上(そじょう)にのせられつつある。しかし、現状では、彼らと友松との師承関係や派閥的協調関係を具体的に物語る資料が見当たらず、これについてはなお今後の検討にまつべきであろう。もっとも友松の画業の後継者には、晩年の子友雪(ゆうせつ)がいる。彼は一時期小谷忠左衛門と称し、土佐、狩野(かのう)といった専門絵師より一段低い「絵屋」をなりわいとする生活を送っていた。それが後年、春日局(かすがのつぼね)(友松の親友・斎藤利三(としみつ)の娘)の引き立てにより海北家を再興、禁裏の襖絵(ふすまえ)制作にも参加するほどに活躍した。しかし、その作品は独自性を主張するほど個性的でもなく、江戸狩野様式にかなったものが多い。これ以後海北家は、友竹―友泉―友三―友徳―友樵(ゆうしょう)と、明治まで画業を継承するが、最後まで多分に町絵師的性格を保持していた。[榊原 悟]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の海北派の言及

【海北友松】より

…桃山時代の画家。海北派の祖。名は紹益。…

※「海北派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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