海北友松(ゆうしょう)を祖とし、安土(あづち)桃山時代より明治維新に至るまで続いた画派。その家系は現在も存続する。従来、友松を孤高の武人画家と解すあまり、はたして彼が一派を結成して流派活動に励んだかどうか否定的であったが、近年、友松様の人物画に長じた画人として鉄山東流や神前松徳(しんぜんしょうとく)、増田友柏(ゆうはく)などが紹介されたため、この問題は改めて俎上(そじょう)にのせられつつある。しかし、現状では、彼らと友松との師承関係や派閥的協調関係を具体的に物語る資料が見当たらず、これについてはなお今後の検討にまつべきであろう。もっとも友松の画業の後継者には、晩年の子友雪(ゆうせつ)がいる。彼は一時期小谷忠左衛門と称し、土佐、狩野(かのう)といった専門絵師より一段低い「絵屋」をなりわいとする生活を送っていた。それが後年、春日局(かすがのつぼね)(友松の親友・斎藤利三(としみつ)の娘)の引き立てにより海北家を再興、禁裏の襖絵(ふすまえ)制作にも参加するほどに活躍した。しかし、その作品は独自性を主張するほど個性的でもなく、江戸狩野様式にかなったものが多い。これ以後海北家は、友竹―友泉―友三―友徳―友樵(ゆうしょう)と、明治まで画業を継承するが、最後まで多分に町絵師的性格を保持していた。
[榊原 悟]
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…桃山時代の画家。海北派の祖。名は紹益。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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