デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「深川湖十」の解説
深川湖十(2代) ふかがわ-こじゅう
甲斐(かい)(山梨県)の人。初代湖十の養子となり,享保(きょうほう)18年2代をつぐ。其角(きかく)座の中心人物として活躍。延享3年1月24日死去。本姓は村瀬。別号に永機,巽窓,巽籬(そんり)斎,歌舞庵など。編著に「犬新山家(いぬしんさんが)」「ふるすだれ」など。
【格言など】誹諧(はいかい)の変化は時の花に流行すとも,正風のまことは霜にいたまず,嵐にちらず(「江戸廿歌仙」)
深川湖十(初代) ふかがわ-こじゅう
延宝5年生まれ。はじめ鼠肝(そかん),のち榎本其角(きかく)にまなぶ。13年間京坂(けいはん)を漂泊。其角の没後,点印(てんいん)をうけついで其角座を主宰した。元文3年7月27日死去。62歳。江戸出身。本姓は森部。別号に木者庵,老鼠肝,其角堂など。編著に「二(ふたつ)のきれ」「誹太郎(はいたろう)」など。
深川湖十(3代) ふかがわ-こじゅう
2代湖十の子とも養子ともいわれる。江戸の人。2代にまなび,その没後3代をつぐ。其角(きかく)座の宗匠として「眉斧(びふ)日録」の刊行をつづけた。安永9年7月15日死去。別号に風窓,老鼠,雷吼坊など。編著に「石畳」「新撰角文字」など。
深川湖十(4代) ふかがわ-こじゅう
江戸の人。大島蓼太(りょうた)にまなんだのち,3代湖十の門にはいる。安永3,4年ごろ4代湖十をつぎ,黄花庵湖十と称した。寛政12年5月27日死去。別号に晋窓,完車,歓雷など。編著に「越旦」「花実集」。
深川湖十(6代) ふかがわ-こじゅう
安永元年生まれ。江戸の人。享和元年6代湖十をつぐ。天保(てんぽう)4年10月20日死去。62歳。別号に木髪,昇窓など。著作に「湖十句巣」「日光紀行」など。
深川湖十(5代) ふかがわ-こじゅう
江戸の人。寛政初年5代湖十をつぐ。文化3年7月27日死去。別号に老鼠,白雪庵,九窓など。