精選版 日本国語大辞典 「済南」の意味・読み・例文・類語
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中国,山東省の省都。〈せいなん〉ともいう。省の中央やや北西寄り,泰山山地の北麓,黄河の南岸に位置する。済南市は1929年,歴城県の市街区を析出してできた。現在は5市区と章丘市および長清・平陰,済陽,商河の4県を管轄する。面積8098km2(うち市区2123km2),市区人口300万(2000)。工業では青島(チンタオ)に劣るが,省の政治・経済・文化・交通の中心。鉄道は京滬(けいこ)線(北京~上海)が通り,ここから青島,烟台へ向かう膠済(こうさい)線が分岐する。
泰山山麓は黄河の沖積平野より高く,水害を避ける安定した場所で,また良好な地下水に恵まれ,温暖な気候とあいまって,新石器時代から農耕文明が発達し,都市の成立も早かった。春秋時代には斉国の邑が設けられ,歴山の麓という意味で歴下と呼ばれた。この位置は黄河流域と淮河(わいが)流域の中間にあたり,また斉の中心部と中原を結ぶ経路でもあり,文字どおり四通八達の地として,南北・東西交通の死命を制する要衝であった。唐・宋以後,全国の中心が江南に移っても,華北の要地としての意味は失われず,動乱に際しては必争の地となった。また杜甫の詩に〈済南名士多し〉とうたわれたように,中央政界,文化界で活躍した人物を輩出した。歴下は漢代には歴城県となり,済南国(のち郡)に属した。郡治は当初,やや東の東平陵県に置かれたが,晋代に歴城に移され,以後一貫して郡州府などの中心であった。済南とは,今の黄河付近にあった済水の南にあたることによる。明代に山東布政使司が置かれ,山東の中心となった。清代には内城・外城二重の城郭をもち,さらに城西門外にも商業地が開かれていた。1904年(光緒30),ここが自主的に開市され,外国人の居住も増え,華北の一商業中心となったほか,食品,繊維などの軽工業も発達した。国民党の北伐に際しては,その主要な目標の一つとなり,それを阻止しようとする日本軍との間に済南事件(山東出兵)がひきおこされた。
済南は〈泉城〉の名でも知られるように,南部の山地からの地下水が自噴泉となり,趵突(ひようとつ)泉,黒虎泉などの泉群は,古くから風光明美な景勝の地として知られる。このほか,郊外の霊巌寺は唐代四絶(他に浙江天台国清寺,江蘇南京棲霞寺,湖北江陵玉泉寺)の一つとして著名で,四門塔・竜虎塔などのある柳埠地区,千仏山などとともに,済南の主要な観光地である。また考古学の上で〈竜山文化〉を確認することになった城子崖遺跡も,章丘県竜山鎮にある。
執筆者:秋山 元秀
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…省の中央やや北西寄り,泰山山地の北麓,黄河の南岸に位置する。済南市は1929年,歴城県の市街区を析出してできた。現在は5市区と章丘市および長清・平陰,済陽,商河の4県を管轄する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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