1882年(明治15)8月30日、朝鮮駐在公使花房義質(はなぶさよしただ)が朝鮮政府代表李裕元(りゆうげん)、金宏集(きんこうしゅう)と済物浦(現仁川(じんせん))で結んだ壬午(じんご)軍乱の善後約定。加害者処罰、損害賠償および公使館護衛のための兵員駐在、国書による謝罪を決めたほか、元山(げんざん)、仁川、釜山(ふざん)における日本権益拡大や日本外交官の内地遊歴を認めた修好条規を定めた。これは日本が海外に駐兵権を得た最初の条約である。朝鮮では日本の駐兵に対抗して清(しん)軍駐在および宗主権強化が図られ、親日派の独立党と親清派の事大党との相克が激化し、甲申(こうしん)政変の遠因が醸成された。
[藤村道生]
『田保橋潔著『近代日鮮関係の研究』復刻版(1940・宗高書房)』
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壬午(じんご)事変に関する日本・朝鮮両国間の善後約定。善後処理の交渉が長びいて花房義質(よしもと)公使が仁川に引揚げたとき,交渉を拒否していた大院君が清国軍により天津に拉致されていたため,1882年(明治15)8月30日に李裕元(りゆうげん)らと調印。(1)襲撃犯人の逮捕・処罰,(2)日本側遭難者遺族・負傷者の見舞金5万円,(3)損害賠償50万円,(4)公使館守備兵の駐留,(5)謝罪使の派日,などを約定。同日,日朝修好条規の続約も結び,日本の権益を拡張した。
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…82年8月,清は宗属関係を明記した商民水陸貿易章程を朝鮮と結ぶとともに,大院君を清の保定に幽閉し,軍隊を漢城に駐留させた。同月,日本は済物浦条約と修好条規続約を結び,前者によって公使館に警備兵を配置する権利を得た。この暴動の結果,朝鮮に対する清の宗主権が強まり,甲申政変の遠因となった。…
…日露戦争開戦直後に編成され,日韓併合を経て日本による植民地支配の時期を通じて朝鮮に駐屯した日本の陸軍。日朝修好条規締結(1876)後,日本の陸軍部隊が朝鮮に常駐したのは,1882年壬午軍乱後結ばれた済物浦条約にもとづき,ソウルに駐屯した守備隊をはじめとする。甲申政変の翌年,85年に日清間で結ばれた天津条約で,日清両軍は朝鮮から撤退したが,日清戦争で日本軍が大挙朝鮮に出兵し,戦争終了後も公使館守備隊が駐屯,さらに96年の日露協定(小村=ウェーバー覚書)で,ソウル,釜山,元山および京釜間電信線保護のため日本軍の常駐が約され,この状況が日露戦争直前まで続いた。…
※「済物浦条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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