江華島事件(1875)のあと,日本と朝鮮とのあいだで1876年2月26日に,朝鮮の江華府で結ばれた〈大日本大朝鮮修好条規〉のこと。江華条約とも言う。日本側の黒田清隆,井上馨両全権,朝鮮側の申(しんけん),尹滋承両全権によって調印された。内容は全12款から成り,主要には次の4点である。(1)朝鮮は〈自主〉の国で,日本と〈平等〉な権利を有すること(第1款)。(2)使節の相互往来と滞在(第2款)。(3)朝鮮は釜山以外に新たに2港を開くこと(第4,5款。のちに仁川,元山と決定)。(4)開港地における日本の管理官の駐在と治外法権の承認(第8,10款)。朝鮮にとって不平等な内容であったが,その背景には,朝鮮に対する日本の武力的威圧のほかに,条約をめぐる日朝両国の外交戦略の違いがあった。日本が江戸時代の朝鮮通信使を通しての日朝関係である交隣関係を,資本主義に即応した近代国際法に基づく関係に改めようとしたのに対し,鎖国攘夷政策を採る朝鮮は,書契問題(〈江華島事件〉の項を参照)によって損なわれた交隣関係を修復しようとした。その結果,日本が開港や居留地の設定など資本主義的要求を積極的に出したのに対して,朝鮮は旧来の交隣関係の枠を超える要求をしなかったため,条約の内容は片務的となった。条約の実施の段階で,両国間の位置づけの違いが明確になり,先の(1)(2)(3)をめぐって対立した。この対立は1882年の壬午(じんご)軍乱まで続くが,この間には朝米修好通商条規(1882)を始めとしてイギリス,ドイツ(いずれも同年)など欧米諸国と条約を結び,朝鮮は世界資本主義体制に組み込まれていった。
執筆者:原田 環
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江華島(こうかとう)事件を口実に、日本政府が李(り)氏朝鮮政府に締結を迫り、朝鮮を資本主義世界に初めて開国させた条約。江華条約ともいう。1876年(明治9)2月26日、朝鮮の江華府で、日本の全権、黒田清隆(きよたか)、井上馨(かおる)と、朝鮮側代表、申(しんけん)、尹滋承(いんじしょう)との間に調印され、その日から発効した。この修好条規は、同年8月24日調印された同条規付録、朝鮮国議定諸港において日本国人民貿易規則および、修好条規付録に付属する往復文書と一体のもので、日本政府はこれらの取決めによって、朝鮮に一方的な不平等を強いた。領事裁判権、日本諸貨幣の流通、輸出入商品いっさいの関税免除などがそれであり、これら一連の特権によって、近代日本の朝鮮侵略が始められたのである。
[中塚 明]
江華(こうか)条約ともいう。1876年2月3日,韓国の江華府で調印された日本と韓国との最初の条約。韓国は清国の従属国として,他国に対しては鎖国政策をとっていた。これに対して韓国と正式の国交樹立を望んでいた日本政府は,75年9月,日本軍艦雲揚号(うんようごう)が江華島付近で砲撃された事件を口実にして,全権大使黒田清隆,全権副使井上馨(かおる)を韓国に派遣し,韓国が清国との従属関係を断ち,独立国として日本と国交を開くよう強要し,修好条約の締結に成功した。この条約の要点は,韓国が自主独立国であることを宣言し,釜山(プサン),元山(ウオンサン),仁川(インチョン)の開港,ソウルに日本公使館,各港に領事館を開設すること,日本人の領事裁判権を認めることなどである。これによって韓国の鎖国政策は破れた。
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江華(こうか)条約・日韓修好条規とも。朝鮮を開国させた条約。江華島事件の翌年,黒田清隆・井上馨(かおる)正副全権が江華府で日本案を基礎に談判し,1876年(明治9)2月27日(日付は26日)申櫶(しんけん)らと調印。12款。第1条で「朝鮮国ハ自主ノ邦」として清国の宗主権を排し,(1)釜山ほか2港の開港,(2)使臣の駐京,(3)開港場に管理官設置,(4)朝鮮在留日本国民への領事裁判権などを規定。同年3月批准後,宮本小一(こいち)理事官を派遣,8月条規付録と貿易規則を結び,無関税の条件を得た。この不平等条約で日本は列国に先んじて朝鮮の開国に成功。のち花房義質(よしもと)代理(弁理)公使により元山・仁川の開港交渉が進められた。
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…しかし近世後期における貿易不振は避けられず,理由をつけては幕府から下賜金や拝借金を受けて,経営を続けるありさまであった。【田代 和生】
[近代――日本の朝鮮支配へ]
近代以降の日朝貿易は1876年の日朝修好条規,同付録,日朝通商章程で再開されるが,日本は治外法権,低額関税,金などへの免税権,開港地での日本貨幣使用権などに支えられ,朝鮮を経済的にも侵略した。初めは日本が朝鮮貿易を独占したが,1882年以降,清国商人も参加しはじめ,日本と清国の対立・抗争がしだいに激化し,やがて日本の朝鮮支配権獲得を意図した日清戦争が開始される。…
※「日朝修好条規」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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