江戸中期の画家。通称求馬。京都の人。1708年(宝永5)ごろから近衛家煕(このえいえひろ)に仕える。絵は初め狩野(かのう)派を学び、のち光琳(こうりん)の影響を受けてその装飾画風をも得意とし、両者を巧みに使い分ける。ことに光琳様式の継承者としては、江戸を中心に栄えた後期琳派のなかで、ひとり京都でその伝統を保持した画家として注目される。遺品には狩野風の達者な筆遣いを示した水墨画が多く、また奈良・興福院(こんぶいん)の障壁画もよく知られる。一方、琳派風のものでは、京都・大覚寺(だいかくじ)の障壁画(耕作図杉戸絵や兎(うさぎ)図障子腰板絵(こしいたえ)など)、『燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)』(クリーブランド美術館)、『吉野山図屏風』などが代表的である。また『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』20巻を模写するなど、大和(やまと)絵の素養をもち、さらに『鳥類真写図巻』のような写生画を描いて、円山応挙(まるやまおうきょ)に影響を与えている。
[村重 寧]
江戸中期の画家。求馬と称す。京都の人。1708年(宝永5)近衛家に出入りを許され,近衛家煕に仕えた。絵は初め狩野派を学んだが,その後尾形光琳について琳派風を習得した。両者の画風を併行して描いたらしい。狩野派の師は山本素軒であり,一時,乾山焼の絵付を手伝ったとする推定がある。写生を重視して円山応挙にも影響を与えた。代表作に大覚寺正寝殿杉戸絵,興福院書院・霊屋障壁画,《燕子花図屛風》(クリーブランド美術館)などがある。
執筆者:河野 元昭
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