内裏の殿舎の一つ。〈しゅんきょうでん〉ともよむ。紫宸殿(ししんでん)の南庭の東端にある。紫宸殿の東に宜陽殿(ぎようでん)があり,その南に日華門,春興殿と連なり,その南が左腋門(さえきもん)と続き内裏の内郭の塀と接している。西面して南庭をはさんで安福殿と対している。7間3面,檜皮葺,北・東・西に廂(ひさし)があり,東は孫廂まであり,西は土廂である。武具を納めた所で,東廂に内豎(ないじゆ)の詰所がある。平安時代に雷鳴(かみなり)の陣がしかれたとき,この西廂に内舎人(うどねり)が警護したこともある。内裏が焼亡して里内裏となると,温明殿(うんめいでん)に代わってこの御殿に神鏡が奉安されることとなった。現在の京都御所では,紫宸殿の東方宜陽殿のさらに東にある独立の建物となっている。これは大正天皇の即位の大礼のさい造営され,銅板葺,檜柱に白壁であるが,外側は風雨除けの差し掛,裳層(もこし)によって覆われている。京都における神鏡の奉安所である。
→内侍所(ないしどころ)
執筆者:平林 盛得
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「しゅんきょうでん」とも読む。平安宮内裏(だいり)の殿舎の名。紫宸殿(ししんでん)南庭の東、宜陽殿(ぎようでん)の南にある。檜皮葺(ひわだぶ)きで南北7間、東西2間の母屋(もや)の東西(あるいは東西北)に廂(ひさし)、東に孫廂のある西向きの建物。母屋には武具を納め、東廂には宮中に仕える童子のいる内豎所(ないじゅどころ)があり、西廂は各種の儀式に使われた。鎌倉時代以降、神鏡を祀(まつ)る賢所(かしこどころ)が移され、1869年(明治2)の東京遷都まで続いた。また大正天皇即位のとき、京都御所に神鏡を安置する所として、紫宸殿の東に春興殿が造営され、現在に至っている。
[吉田早苗]
…紫宸殿(ししんでん)の南庭の東端にある。紫宸殿の東に宜陽殿(ぎようでん)があり,その南に日華門,春興殿と連なり,その南が左腋門(さえきもん)と続き内裏の内郭の塀と接している。西面して南庭をはさんで安福殿と対している。…
※「春興殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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