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平安宮 ヘイアンキュウ

世界大百科事典 第2版の解説

へいあんきゅう【平安宮】

平安京の宮城。平安京の中央北部を占め,築地塀で囲まれた内部には,内裏(だいり)と諸官衙が群立していた。この場所は,平安遷都以前,当地方の豪族,秦河勝(はたのかわかつ)の屋敷があったと伝え,紫宸殿(ししんでん)前の梅にその伝承を残している。宮域内の居住者からは土地を収用し,他所に代替地を与えた。宮城の規模や構造については,鎌倉時代に写された大内裏図によって知られ,また江戸後期,裏松光世の研究になる《大内裏図考証》が参考にされてきた。

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大辞林 第三版の解説

へいあんきゅう【平安宮】

平安京の宮城(大内裏)。内裏が朝堂院から分離してその北東に設けられていること、宴会場としての豊楽院が設けられていることなどが平城宮と異なる。たびたび火災に遭い、摂関期以降はその私邸を里内裏として用いるのが一般的になり、政治の場から離れ、平安末期以降荒廃した。

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世界大百科事典内の平安宮の言及

【宮殿】より

…ここでも大極殿・朝堂院は礎石・瓦葺建物で,内裏やほとんどの役所は掘立柱建物であったことがわかっている。難波,藤原,平城,長岡の大極殿はすべて回廊でとざされ,前の朝堂院とは別区画であったが,平安宮では前面の閤門(こうもん)を取り除いて竜尾壇に改め威儀をととのえる改良が行われた。内裏建物群は平城宮までは正殿をはじめすべて1棟ずつ独立していたが,平安宮のある時期に正殿・紫宸殿と後殿・仁寿殿その他が接続して雨天にも行動が自由なように改良された。…

【皇居】より

…このうち(1)は伊勢神宮などの式年遷宮の慣行に通じ,(2)は天皇が没した殿舎を撤却する後世の慣習に通ずるところがあり,(3)(4)は(2)との関連も考えられる。しかし持統朝に中国風の本格的な宮室・都城として藤原宮・藤原京が営まれるに至って,歴代遷宮の風習は廃れ,さらに持統・文武2代の藤原宮都から,平城・長岡の宮都を経て,平安宮・平安京が造営されるに及び,〈万代の宮〉と定められた。
[古代の宮室]
 古代の宮室のうち,ある程度その構造がわかるのは,推古天皇の小墾田(おはりだ)宮が最初である。…

【淑景舎】より

…〈しげいさ〉とも読む。平安宮内裏五舎(飛香,凝花,襲芳,昭陽,淑景舎)の一つ。庭に桐を植えたので桐壺(きりつぼ)とも称する。…

【内裏】より

…〈おおうち(大内)〉〈うち〉ともいった。平安宮では,南北100丈(約303m),東西70丈(約212m)の区画をもち,北半分の後宮部分と南半分の天皇の常住区郭とに分かれ,両者の間は瓦垣でへだてられ,一応区別されていた(図)。後宮部分は常寧殿(じようねいでん)を中心に飛香舎(ひぎようしや),貞観殿(じようがんでん)などの殿舎からなり,妃,女御などの居住区域となっていた。…

※「平安宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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