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源義綱 みなもとの よしつな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

源義綱 みなもとの-よしつな

?-1134 平安時代後期の武将。
源頼義の次男。陸奥(むつ),美濃(みの)などの国守を歴任。寛治(かんじ)5年(1091)兄源義家と対立し,京都で合戦におよぼうとして朝廷をおどろかせた。天仁(てんにん)2年(1109)3男義明が義家の子義忠殺害のかどで追討され,長男義弘らは自殺。義綱は佐渡に流され,長承3年(一説に元年)さらに追討をうけて自殺。通称は賀茂二郎

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朝日日本歴史人物事典の解説

源義綱

没年:長承3?(1134)
生年:生年不詳
平安後期の武将。頼義と平直方の娘の子。義家の同母弟。賀茂神社で元服し賀茂次郎と号す。前九年の役に参戦,乱後左兵衛少尉に任官。後三年の役には下向せず,以後義家に代わり朝廷に重用される。寛治5(1091)年に京で義家と兵を構えたが処罰なく,同7年,陸奥守に就任。出羽の平師妙らの反乱を鎮圧し,嘉保2(1095)年に美濃守に遷任。しかし同国内で延暦寺僧徒を追捕して強訴を受け,このとき義綱を庇護した関白藤原師通が康和1(1099)年に死去したため以後不振。天仁2(1109)年,子の義明が源義忠暗殺の嫌疑で殺害されたのに怒り出京したが追捕され,義弘以下4人の子は自殺,自身は佐渡に配流となり,帰京後自殺したとされる。<参考文献>安田元久『日本初期封建制の基礎研究』,元木泰雄「十一世紀末期の河内源氏」(『後期摂関時代史の研究』)

(元木泰雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

みなもとのよしつな【源義綱】

?‐1132?(長承1?)
平安後期の武将。源頼義の次男,源義家の弟。母は義家と同じ上野介平直方の娘。京都賀茂神社で元服し賀茂二郎と号した。前九年の役(1051‐62)では兄義家とともに父に従って活躍,左衛門尉に任ぜられた。後三年の役(1083‐87)鎮圧のため義家が陸奥に赴いている間に摂関家との結合を強め,義家と対立するようになる。1091年(寛治5)郎等同士の争いから義家と兵を構えるに至った。翌年陸奥守,94年出羽の反乱を鎮圧して美濃守。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

源義綱
みなもとのよしつな
(?―1134)

平安後期の武将。頼義(よりよし)の次子、加茂(かも)二郎と称した。前九年の役(1051~62)では父に従って安倍貞任(あべのさだとう)を討ち、その功によって左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)、ついで陸奥(むつ)・伊勢(いせ)・甲斐(かい)・信濃(しなの)などの守(かみ)を歴任した。1091年(寛治5)藤原実清(さねきよ)と清原則清(のりきよ)の所領争いに関与したことから兄の八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)と反目、「天下の騒動これより大なるはなし」(百練抄)として公卿(くぎょう)の議定(ぎじょう)に付されている。1109年(天仁2)には義家の子義忠(よしただ)殺害の罪を問われ、為義(ためよし)に攻められて出家、佐渡に流された。その後一度は許されて入洛(にゅうらく)したが、34年(長承3)ふたたび譴責(けんせき)されて自殺した。[谷口 昭]

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世界大百科事典内の源義綱の言及

【清和源氏】より

…清和天皇の皇子・皇孫である賜姓源氏とその子孫。そのうちで最も栄え,清和源氏の代表的存在と見られたのは,第6皇子貞純親王の皇子経基王の系統である。
[経基王系の発展]
 経基王は武蔵介として平将門の乱の鎮定に努力し,961年(応和1)に源姓を与えられた。その子満仲は摂津守となり,また摂津国多田地方(現,兵庫県川西市)に開発領主として土着し,多田荘を経営して多田院を創立した。なおこの満仲と経基との関係には若干の疑問も残されているが,《尊卑分脈》の系図にしたがって父子関係を認めるのが現在の定説である。…

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