改訂新版 世界大百科事典 「源義綱」の意味・わかりやすい解説
源義綱 (みなもとのよしつな)
生没年:?-1132?(長承1?)
平安後期の武将。源頼義の次男,源義家の弟。母は義家と同じ上野介平直方の娘。京都賀茂神社で元服し賀茂二郎と号した。前九年の役(1051-62)では兄義家とともに父に従って活躍,左衛門尉に任ぜられた。後三年の役(1083-87)鎮圧のため義家が陸奥に赴いている間に摂関家との結合を強め,義家と対立するようになる。1091年(寛治5)郎等同士の争いから義家と兵を構えるに至った。翌年陸奥守,94年出羽の反乱を鎮圧して美濃守。1109年(天仁2)義家の四男で嫡流を継いでいた源義忠が殺害された事件で疑いを受け,近江甲賀にこもったところを為義(義家孫,義忠養子)の追討を受けて出家,降伏。このとき義綱の子息5人は自害して果てた。義綱は佐渡に流され,のち再び追討を受けて自害した。その後義忠殺害の嫌疑は冤罪であったことが判明した。
執筆者:飯田 悠紀子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報