中国、前漢中期の政治家。霍去病(かくきょへい)の異母弟。そのために若くして武帝の側近に抜擢(ばってき)され、奉車都尉(とい)、光禄勲(こうろくくん)を歴任した。武帝没後、孫娘を昭帝の皇后とし、権力を振るったので、上官桀(じょうかんけつ)、桑弘羊(そうこうよう)ら武帝政策の継承派とは対立した。紀元前80年、燕王旦(えんおうたん)の謀反事件に乗じてこれら政敵を一掃した。さらに宣帝を擁立して一族すべて顕官を占め、霍氏の権勢は頂点に達した。しかし、前68年に彼が死ぬと皇帝親政が始まり、霍氏は反逆の汚名を着せられて族滅された。光は昭帝期には大司馬大将軍で尚書を兼ね、軍事とあわせ内朝にあって政治を専断した。こののち、丞相(じょうしょう)以下の外朝は単なる行政事務機関として働くにすぎなくなった。このような内・外朝という機構が密接な関係を失うと、皇帝の一貫した政治機能が弱化し、党派が形成されて相争うようになる。霍光の内朝専権という政治形態は、後漢(ごかん)期における外戚(がいせき)、宦官(かんがん)の党争の源となった点で見過ごすわけにいかない。
[好並隆司]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…天皇を補佐して政務を執行する職。執柄(しつぺい),博陸(はくろく),霍光(かくこう)ともいう。中国前漢の宣帝が霍光に対し,〈諸事皆まず関(あずか)り白(もう)すべし〉と命じたのに由来するが,日本では宇多天皇が887年(仁和3)太政大臣藤原基経に対して下した詔に関白の語がみえるのが初例。…
…もっとも《史記》五帝本紀は,尭が舜を挙げ,舜に政を摂らしめたということを記すが,尭舜伝説より周公摂政の方がはるかに儒教伝説として重要であり,孔子の尊崇した聖人周公のことであるから直接関係が深い。漢の昭帝が幼かったので霍光(かくこう)が武帝の遺詔により政を摂ったのが外戚摂政の実例であろう。また漢の高祖の死後恵帝の時代に呂太后が政治の実権を握り,太后称制といって,皇帝の母親が後見としていわゆる垂簾の政を行った(皇太后)。…
※「霍光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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