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李陵 りりょう Li Ling

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李陵
りりょう
Li Ling

[生]?
[没]本始2(前72)
中国,前漢の将軍。李広の孫。隴西成紀 (甘粛省奉安県) の人。字は少卿。幼少から騎射に秀で,武帝のとき騎都尉となった。天漢2 (前 99) 年弐師将軍李広利匈奴を討つと,李陵は 5000の兵を率いて匈奴の背後を突き,李広利を助けた。

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デジタル大辞泉の解説

り‐りょう【李陵】

[?~前72]中国、前漢の武将。隴西(ろうせい)(甘粛省)の人。字(あざな)は少卿。武帝の時、騎都尉として匈奴(きょうど)と戦い、敗れて降る。単于(ぜんう)に認められて右校王に封ぜられ、二十余年後に病没。
中島敦短編小説。遺稿として、著者没後の昭和18年(1943)、「文学界」誌7月号に掲載。題名は著者と生前親交のあった深田久弥がつけたもの。

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百科事典マイペディアの解説

李陵【りりょう】

中国,前漢武帝の代の武将。前99年匈奴(きょうど)と戦って捕らえられた。武帝は怒ってその家族を殺し,弁護した司馬遷を宮刑に処した。李陵は匈奴の地にあること20余年にして病死。

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世界大百科事典 第2版の解説

りりょう【李陵 Lǐ Líng】

?‐前74
中国,前漢の武将。字は少卿。成紀(甘粛省秦安県北)の人。幼少のころから騎射をよくし,のち武帝に仕えて騎都尉(きとい)となった。前99年(天漢2)みずから願い出て,兵5000人を率いて匈奴を討った。寡兵をもって匈奴を破り,兵を返そうとして優勢な敵に遭遇し,力戦したが矢尽きて匈奴に下った。彼を弁護した司馬遷が,武帝の怒りにふれて宮刑に処せられた話は有名である。その後李陵は単于(ぜんう)の娘をめとって右校王となり,匈奴の地にあること20余年にして病没した。

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大辞林 第三版の解説

りりょう【李陵】

?~前74) 中国、前漢の軍人。字あざなは少卿。寡兵をもって匈奴きようどとよく戦ったが捕らえられ、単于ぜんうの娘を妻とし匈奴の地にあること二十余年で病没。司馬遷は彼を弁護して宮刑に処せられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李陵
りりょう
(?―前72)

中国、前漢の武将。字(あざな)は少卿。将軍李広(りこう)の孫。若いときから騎射に巧みであった。紀元前99年、李広利(りこうり)が匈奴(きょうど)を討った際、歩兵5000人を率いて出撃し、匈奴の大軍と戦ってこれを破った。しかし、武器・食糧が尽きたうえに、匈奴の援軍に包囲され、ついに降伏した。武帝はこれを聞いて怒り、彼の母・妻子を殺そうとした。司馬遷(しばせん)は、李陵を弁護したために武帝の憤怒を買い、宮刑(去勢の刑罰)に処せられた。李陵は匈奴に降(くだ)ったのち、単于(ぜんう)の娘を妻とし、右校王(うこうおう)に封ぜられて単于の軍事・政治顧問として活躍し、モンゴル高原で病死した。李陵の奮戦、降伏の悲劇は、詩や物語として中国人の間に長く伝えられた。日本では中島敦(あつし)の『李陵』が有名。1940年、エニセイ川上流域で漢様式の宮殿の遺跡が発見され、これを李陵の邸宅とみなす学者もいるが、断定はできない。[護 雅夫]
『護雅夫著『李陵』(1974・中央公論社) ▽中島敦著『李陵・山月記』(新潮文庫)』

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世界大百科事典内の李陵の言及

【司馬遷】より

…太初と改元されたその日,新暦が頒布された直後に,司馬遷は《史記》執筆を開始し,この新秩序成立に至るまでの人間の努力を正しく位置づけようとする。以後執筆に専念して7年目の前98年,匈奴討伐に奮戦しながら捕虜になった名将,李陵を弁護して武帝の怒りに触れ,宮刑の恥辱を受ける。恥を忍んで生き長らえ,2年後に宦官として宮廷にもどって中書令(天子の秘書長)になったのも,ただ《史記》完成への執念に支えられたからであり,その苦衷は死刑囚の友人の任安(じんあん)にあてた前91年の書簡にあふれている。…

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