精選版 日本国語大辞典 「古川緑波」の意味・読み・例文・類語
ふるかわ‐ろっぱ【古川緑波】
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喜劇俳優。ロッパとも書く。本名郁郎(いくろう)。男爵加藤照磨の六男として東京に生まれ、古川家の養子となる。早稲田(わせだ)大学英文科中退。在学中すでに映画雑誌の記者を勤め、PR映画にも主演、また小林一三(いちぞう)の勧めで1932年(昭和7)宝塚の舞台を踏む。当時より物真似(まね)、声色(こわいろ)を得意とし、これにモダン声色の意味で「声帯模写(せいたいもしゃ)」と名づけた。その後、「喜劇爆笑隊」「笑の王国」を経て35年東宝傘下にロッパ一座を結成、舞台と映画で活躍。博識で文才にも長じ、脚本、随筆などの著作も多い。晩年は不振であった。
[向井爽也]
『『古川ロッパ昭和日記』全三巻・補巻1(1987~89・晶文社)』
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…この時期,小津安二郎も,軽妙な風俗喜劇を次々に作っていた。当時のコメディアンとしては,チャップリンひげの小倉繁,渡辺篤があげられるが,トーキー時代に入って,いずれも舞台で人気を博したエノケン(榎本健一)とロッパ(古川緑波)が相次いで登場する。エノケンは,スピーディな曲技とがらがら声の歌で,ロッパは〈鈍足のモダンボーイ〉の軽妙な味で,それぞれ人気を博した。…
…その一党が中心となって33年に浅草常盤座で〈笑いの王国〉が旗揚げした。役者として生駒雷遊(いこまらいゆう)(1895‐1964),山野一郎,古川緑波(ロッパ),大辻司郎(1896‐1952),渡辺篤(1896‐1977),関時男,清川虹子ら,作家陣に菊田一夫,大町竜夫,貴島研二,山下三郎らが加わった。一夜づけの脚本による,いわゆる〈アチャラカ芝居〉なる言葉はここから生まれた。…
…幕末期に寄席演芸となり,《鸚鵡石》という声色本も出た。大正末に喜劇役者の古川緑波(ろつぱ)が声色を〈声帯模写〉と称し,まねる対象も歌舞伎役者以外にも大きくひろげて活気づけ,続けて,多くの巧者があらわれた。以後ラジオの発展とともにこの名称で盛んに行われ,流行歌手を専門にまねる〈歌謡声帯模写〉などもあらわれた。…
※「古川緑波」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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