出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…日本彫刻史上屈指の名匠といわれる。仏師僧康尚(こうじよう)の子と考えられ,1020年(寛仁4)康尚とともに藤原道長発願の無量寿院(のちの法成寺阿弥陀堂)の9体の丈六阿弥陀像をつくったのをはじめ,宮廷や藤原一門などの造仏に多くたずさわった。22年(治安2)法成寺造仏の功によって,仏師としてはじめて僧綱位の法橋に叙され,48年(永承3)には興福寺造仏の賞として法眼に進んでいる。…
…1019年(寛仁3)から造営開始。金色の丈六阿弥陀像9体を安置した無量寿院(阿弥陀堂)を中心に,金堂,五大堂,十斎堂,講堂,薬師堂など諸堂の造営は,諸国の受領が争って分担し,その壮麗さは地上の極楽といわれて,《栄華物語》や《大鏡》に詳しい。1027年(万寿4)道長は阿弥陀堂内で,9体の阿弥陀仏の手に五色の糸を結び,《往生要集》の臨終行儀そのままに,西向き北枕に臥し,その糸を手にして念仏の声のなかで最期を迎えたという。…
※「無量寿院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」