小説家。明治29年11月12日、神奈川県小田原に生まれる。生後半年で、父が単身渡米。幼時からオルガンや英会話を習い、他国の父への憧憬(しょうけい)を募らせた体験が、牧野の幻想的作風の母体となったとも考えられる。早稲田(わせだ)大学英文科卒業後、同窓の下村千秋(しもむらちあき)らと同人誌『十三人』を創刊。ここに載せた処女作『爪(つめ)』(1919)が島崎藤村(とうそん)に認められた。1921年(大正10)鈴木せつと結婚して小田原へ帰るが、中戸川吉二(きちじ)より雑誌『随筆』創刊のための助力を求められ、上京。『随筆』編集を通じて葛西善蔵(かさいぜんぞう)、宇野浩二(うのこうじ)らを知り、第一創作集『父を売る子』(1924)を刊行する。この時期の作品は、父母を題材にした露悪的かつ自虐的な私小説的作風をもつが、戯画的色合いも強い。昭和期に入ると、小田原近辺を舞台とする身辺描写にギリシアや中世のイメージを導入した明るい幻想的作風に転じ、『心象風景』(1931~32)、『ゼーロン』(1931)、『酒盗人』(1932)などを書くとともに、雑誌『文科』を主宰。その後『夜見(よみ)の巻』『天狗(てんぐ)洞食客記』(ともに1933)などの佳作を経て、しだいに暗い私小説的作品が増し、自己嫌悪や母親憎悪の度を深めた『鬼涙(きなだ)村』(1934)、『淡雪』(1935)などを残して、昭和11年3月24日縊死(いし)自殺を遂げた。ほかに作品集『西部劇通信』(1930)、『鬼涙村』『酒盗人』(ともに1936)がある。
[柳沢孝子]
『『牧野信一全集』全三巻(1962/増補再刊・1975・人文書院)』▽『薬師寺章明著『評説牧野信一』(1966・明治書院)』
小説家。神奈川県生れ。早稲田大学英文科卒。1919年,同人雑誌《十三人》に《爪》を発表して島崎藤村に激賞される。やがて《父を売る子》《父の百ヶ日前後》(ともに1924)を発表して文壇的地歩を確立した。初め葛西善蔵に師事して自己戯画化のユーモアと浪漫的傾向の強い作風を示し〈変形私小説〉の呼称を生んだ。27年,一時帰郷後は浪漫的資質を十全に生かして田園叙事詩的作風を開発,《村のストア派》(1928),《ゼーロン》(1931)などの作品で“ギリシヤ牧野”といわれる,昭和文学史上極めて独自な幻想的,超現実的な自己の文学的世界を確立した。以後,小林秀雄らを執筆グループとする《文科》を創刊主宰したが,《泉岳寺附近》(1932),《鬼涙村(きなだむら)》(1934)などを頂点として神経衰弱的兆候が濃厚となり,初期の私小説的作風へ戻ったが,生活苦と病苦のため生地小田原の実家で縊死した。
執筆者:薬師寺 章明
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大正・昭和期の小説家
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…小林秀雄や後の中村光夫《風俗小説論》(1950)(風俗小説)の批判にもかかわらず私小説は盛んに書かれていたのである。その主なものは志賀直哉の系統では滝井孝作《無限抱擁》(1921‐24),尾崎一雄《二月の蜜蜂》(1926),《虫のいろいろ》(1948)など,葛西善蔵の系統では牧野信一《父を売る子》(1924),嘉村礒多(かむらいそた)《途上》(1932)などがある。そして前者を調和型心境小説,後者を破滅型私小説に分ける解釈が後に伊藤整《小説の方法》(1948)と平野謙〈私小説の二律背反〉(1951)によって完成,定着していった。…
※「牧野信一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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