産業資本や商業資本は、資本を現実の生産過程に産業的または商業的に投じて平均利潤を増殖するのに対し、利子付き資本は、その現実機能過程の外にあって、現実の価値増殖過程をもたないのに自己増殖する資本である。貨幣は、貨幣としての使用価値のほかに、資本として使用すれば利潤を生むから、この貨幣の所有者は、潜在的資本の貨幣を、現実に機能させる産業資本家や商人に譲渡し、後者は取得した利潤の一部分を利子として支払う。したがって貨幣は、その所有者に利子を取得させる力を与える。すなわち、その所有者の貨幣は、譲渡により結局、自己増殖して回収されるのであり、彼の貨幣は資本となるのである。このように、現実の増殖過程をもたずに利子を得させる増殖様式から規定された資本を利子付き資本あるいは利子生み資本といい、また、貸付にもっともよく現れるので貸付資本ともいう。
[海道勝稔]
利子付き資本の運動は独特である。貨幣資本家から機能資本家に利子付き資本の貨幣が前貸しされ、機能資本家は現実の増殖過程で利潤をあげ、そのなかから利子をつけて貸付資本家に復帰する。この過程において、最初の譲渡と最後の復帰の両過程は、中間の現実過程とは本質的に異なる。現実過程では、価値が貨幣資本、生産資本、商品資本と変態して再生産の契機となるが、利子付き資本では貨幣の位置変換は変態ではない。貨幣資本家から機能資本家への移転は、一般の商品の所有移転、等価の交換という、販売とは異なり、なんらの等価も受け取らず、所有も移転されない。価値の譲渡は、貨付という独特の形態をとる。それは返還を条件に手放されたにすぎない。利子付き資本の運動を完結させる復帰の過程も、利子を伴い返済されるという独特の形態をとる。
[海道勝稔]
こうして貨幣資本家には現実資本の再生産は視界から消え、貸し手と借り手の関係の外に置かれ、利子付き資本の運動は媒介過程の消滅した直截(ちょくせつ)な形となる。一定期間後の利子を伴った返済を条件に貨幣が手放されること自体は、貨幣が借り手の手中で現実にどのように結果したかによって変更されるものではない。返済不能のときには、貸付の債権は、借り手の資産を強制処分にするまで自己を主張する。そこで利子付き資本とは、自己増殖の利子が労働者の搾取による剰余価値の一部分でありながら、そうとはならず、貸し付けた貨幣それ自体に直接結び付けられ、直接に生んだ果実と観念される。つまり、貸付可能な貨幣を所有することは、利子を取得する力をもつことを意味し、結局、一定の貨幣はすべて一定の利子をもたらす資本とみなされ、現実の増殖過程との関連の最後の痕跡(こんせき)さえも消えて、資本とは自己自体により自動的に自己増殖し利子を果実とするという表象が確立する。利子付き資本において、このような資本の物神性は最高の形態をとり、その極に達する。
[海道勝稔]
『信用理論研究会編『講座・信用理論体系Ⅲ』(1956・日本評論社)』▽『富塚良三他編『資本論体系6 利子・信用』(1985・有斐閣)』▽『K・マルクス著『資本論』第3巻第5篇第21章、第25章(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』
働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...
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