旧日本海軍が秘密裏に開発した小型の潜水艇。2人乗りで、全長約24メートル、排水量46トン。母艦から発進し、装備した2本の魚雷を敵艦に向けて発射するとされた。1942年5月のシドニー湾攻撃は3隻で出撃し、発射した魚雷で連合軍兵士らが死亡。潜航艇3隻も沈没し、搭乗員6人が死亡した。マダガスカルにも出撃した。
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日本海軍が対米艦隊決戦に備えて極秘裏に開発した小型潜航艇。機密保持上、甲標的とよばれた。当初の計画では、母艦に搭載して決戦海域に運ばれ、船尾のトンネルから急速発進して敵主力艦に肉薄、魚雷攻撃にあたるとされた。敵の意表をつく奇襲兵器であるためその存在は明らかにされず、1938年(昭和13)、これを搭載する母艦の千歳(ちとせ)など4隻が完成したときも水上機母艦の名称が与えられたほどだった。甲型(約60隻建造)、乙・丙型(乙型とその量産型75隻)、丁型(蛟龍(こうりゅう)110隻)の3型があり、全没排水量46~59.3トン、全長23.9~26.2メートル、最大深度100メートル、搭乗員数2~5人、魚雷数2、水中速力6~16ノットまたは20~50分。甲標的の存在が世間に知られたのは真珠湾攻撃作戦に参加した際で、5隻が大型潜水艦に搭載されて湾口近くに進出、湾内に侵入して空からの攻撃に呼応した。全艇撃沈されるか自沈し戦果はなかったが、乗組員10人は軍神の称号を与えられ(のち1人は捕虜となっていたことが判明)、このときの発表で特殊潜航艇の語が初めて用いられた。
このほか、オーストラリア・シドニー港やマダガスカル島ディエゴ・スアレスの同時奇襲にも従事したが、この作戦でも5隻全部が沈められた。甲型に続き局地防衛用の乙・丙型、さらに本土決戦に備えて、5人乗りの丁型(蛟龍)が量産された。最初から特攻目的につくられた人間魚雷とは設計思想は異なっていたが、実際上は特攻兵器と変わらない運用がされた。
[前田哲男]
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日本海軍が太平洋戦争で使用した魚雷発射管2門をもつ2人乗り小型潜水艇。もとは洋上の艦隊決戦で水上の母艦から投下されて発進,敵艦隊を襲撃しようとした秘密兵器。開戦が近づくと搭乗員たちは潜水艦に搭載して敵港湾を奇襲するよう主張し,真珠湾攻撃に5隻が使用された。その後1942年(昭和17)5月にシドニーで3隻,ディエゴスワレスで2隻,43年10~12月にガダルカナル島ルンガ泊地で8隻が使用された。
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…またこの攻撃を特攻といい,命中率をよくし,大きな破壊威力を発揮するのがねらいであった。 1941年12月ハワイ真珠湾攻撃のとき,特殊潜航艇(秘密保持上,〈甲標的〉と公称。この攻撃に使われた甲型は2人乗り,46トン,魚雷2本搭載)で臨時編成した特別攻撃隊が湾内に潜入攻撃し帰還しなかったが,これが特攻隊の名称を用いた最初のものである。…
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