爆弾を装着した航空機や潜水艇などで敵に体当たりするため編成された部隊。太平洋戦争の戦端を開いた1941年12月の米ハワイの真珠湾攻撃でも生還の困難な特殊潜航艇が出撃したが、本格的な作戦としては44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦で海軍の「神風特別攻撃隊」が初めて出撃。人間魚雷「回天」や、ボートに爆弾を積んだ「震洋」「マルレ」も実戦投入された。特攻による戦死者数は不明だが、特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、6418人が確認されている。(ロサンゼルス共同)
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太平洋戦争の末期に日本軍が編成した生還を期さない体当り攻撃部隊。特別攻撃隊の略称。航空機などを爆装し、搭乗員もろとも敵艦に体当りした。航空特攻の場合、1944年(昭和19)10月、フィリピンにおいて、第一航空艦隊の命令によって編成され出撃した神風特別攻撃隊が最初であり、このときは、米軍の護衛空母群に大きな損害を与えた。以後、特攻攻撃は、日本軍航空部隊の主要な戦法となり、沖縄攻防戦では、1945年4月から5月の時期を中心に陸海軍あわせて約2500機もの特攻機が出撃し、さらに、本土決戦のために多数の特攻機が配備された。特攻攻撃には、旧型機や水上機、練習機まで含めたあらゆる種類の航空機が投入され、母機から発進する体当り専用の小型グライダー「桜花」や、体当り用の大量生産機「剣(つるぎ)」も開発されている。米軍は、レーダー網の整備や艦載戦闘機・対空火力の増強、特攻機の出撃基地に対する攻撃などによって特攻攻撃に対抗したため、日本軍搭乗員の練度の低下とも相まって、大多数の特攻機は目標突入以前に撃破され、戦局に影響を与えるほどの戦果をあげることはできなかった。また、日本本土の防空戦では、高空を飛来するB-29への体当り攻撃を任務とする迎撃特攻隊が編成されている。海上特攻の場合は、潜水艦の甲板上から発進して敵艦に体当りする人間魚雷「回天」(九三式魚雷を改装)が、1944年11月、ウルシー泊地(カロリン諸島)への攻撃に初めて使用され、以後、出撃を繰り返した。
また、1945年4月、片道分の燃料を積んで沖縄への突入を図り撃沈された戦艦大和(やまと)の場合なども海上特攻の事例とみなせよう。さらに、体当り用の爆装モーターボート「震洋」、(まるれ)艇なども多数が生産され部分的には実戦に参加している。このほか、1945年5月、飛行場の破壊を目的として沖縄の米軍飛行場に強行着陸した義烈空挺(くうてい)隊の空挺特攻などがあり、陸上戦においても爆雷を抱いた兵士を敵の戦車に体当りさせる戦法が用いられている。こうした特攻攻撃は、悪化する戦局に対する軍上層部の焦慮感と兵士の人命を軽視する思想が生み出した特異な戦法であり、特攻攻撃への参加も、基本的には各自の志願によるものとされていたが、実際には、さまざまな形での強制が働いた場合も少なくなかった。
[吉田 裕]
『小沢郁郎著『つらい真実――虚構の特攻隊神話』(1983・同成社)』
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… 第2次大戦中にはアメリカ海軍およびイギリス海軍はドイツ潜水艦の脅威に対抗するため対潜作戦研究グループを作って潜水艦の攻撃方法,輸送船団の規模と配置などを研究させた。一方,日本の神風特攻隊による艦船の被害を防衛するためにモースPhilip M.Morseを長とするOR班が空母に乗って特攻隊の攻撃を分析し,その対策を練った。その結果,特攻隊が大型艦をねらった場合はジグザグ航行によってその命中率を50%低下させることができ,小型艦をねらった場合には直進によって命中率を30%減少させることができた。…
…第2次大戦中,旧日本陸海軍において,爆薬を装着した飛行機,潜航艇,舟艇などによって敵艦船などに必死の体当り攻撃を行う要員をもって特別に編成した部隊。特攻隊と略す。またこの攻撃を特攻といい,命中率をよくし,大きな破壊威力を発揮するのがねらいであった。…
※「特攻隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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