瓦経(読み)カワラギョウ

デジタル大辞泉 「瓦経」の意味・読み・例文・類語

かわら‐ぎょう〔かはらギヤウ〕【瓦経】

経典後世に伝えるために、両面経文を彫りつけて焼いた瓦。埋経まいきょうに用いる。平安中期、末法思想の高まりによって作られるようになったといわれる。経瓦きょうがわら。がぎょう。

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精選版 日本国語大辞典 「瓦経」の意味・読み・例文・類語

かわら‐ぎょう かはらギャウ【瓦経】

〘名〙 平瓦の両面に、経文を刻んだもの。ふつう経塚に納め地中に埋められる。きょうがわら

が‐ぎょう グヮギャウ【瓦経】

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改訂新版 世界大百科事典 「瓦経」の意味・わかりやすい解説

瓦経 (がきょう)

経塚に埋納するため,粘土板に錐,篦(へら)などで経典を書写して焼いたもの。〈かわらぎょう〉とも呼ぶ。方形,または方形に近い平板状が多い(縦約17~27cm,横約10~30cm,厚さ約1~3cm)。通常表裏に界線・罫線を引き,1面10~15行が多い。界線の欄外や側面には丁付(ちようづけ)(経典の種類,順序などを識別するための簡単な記載)が記されている場合がある。なお,仏形を陽出し,経典を各仏形の胸に1字ずつ刻した特殊な例もある。経典の種類は法華経をはじめ多岐にわたり,紙本経の経塚にはあまり見られないものもある。また瓦製の仏像仏塔,仏画,曼荼羅などを伴う場合もある。経塚の営造には,経典を弥勒の世まで伝える考えがうかがえるが,瓦経は不朽性に着目して考案されたのであろう。早い例に鳥取県の大日寺瓦経(1071)があり,その後約1世紀の間に盛行。西日本に多く,三重県の小町塚瓦経(1174),京都府の盆山瓦経,兵庫県の極楽寺瓦経(1143),岡山県の安養寺瓦経,福岡県の飯盛山瓦経(1114)など,約30ヵ所が知られている。
経塚
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「瓦経」の意味・わかりやすい解説

瓦経
かわらぎょう

粘土板のなま乾きのうちに篦(へら)で経文を書き、これを瓦のように焼いて経塚に埋納したもの。紙本(しほん)写経の埋納は数多いが、瓦経は、岡山県の常福寺、鳥取県の大日寺、三重県伊勢(いせ)小町塚、福岡県飯盛山(いいもりやま)経塚のほか2、3例が知られるにすぎない。瓦経の埋納は多く平安末期で、写経作善の極盛期に銅板経とともに行われた。瓦の不変性を利用して経典を永久に伝えようとした宗教行為の産物である。

[五来 重]


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百科事典マイペディア 「瓦経」の意味・わかりやすい解説

瓦経【がきょう】

経塚(きょうづか)に納めるために瓦製の平板に経文を陰刻したもの。大きさは一定しないが,30cm平方以上のものはない。写された経典は《法華経》《無量義経》《般若心経》《阿弥陀経》など多種だが,密教系のものが多い。奈良時代から平安時代に行われ,末法の世に経典を残そうとした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「瓦経」の意味・わかりやすい解説

瓦経
がきょう

経典を粘土板に錐などで書写して焼いたもの。 30cm前後の方形のものが多い。経塚埋納経典の一種で,おもに 11世紀後半から 12世紀後半にかけて行われた。近畿以西に多くみられ,延久3 (1071) 年の大日寺瓦経 (鳥取県倉吉市桜) は紀年銘のある最も早い例である。

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