田中神社(読み)たなかじんじや

日本歴史地名大系 「田中神社」の解説

田中神社
たなかじんじや

[現在地名]東山区本町二十丁目

本町ほんまち(伏見街道)の西側に位置し、鳥居・社殿ともに東面して同通に面する。伏見稲荷大社の境外摂社。祭日は本社に準じ、また一一月一一日を火焚祭とする。祭神は二座相伝で北が田中社、南を四大神とする。それぞれの神名は諸説あって一定しない(坊目誌)。かつては田中明神ともいい、「山城名勝志」に「田中明神 今坐大和大路稲荷社北五町許」とみえる。


田中神社
たなかじんじや

[現在地名]左京区田中西樋ノ口町

知恩ちおん寺の北に鎮座大国主おおくにぬし命を祭神とする。旧村社。「三代実録」貞観五年(八六三)五月二二日条に「勅遷山城国広幡神田中神於愛宕郡伊佐弥里、以旧社近於汚穢也」とある田中神が当社であるという(京都府愛宕郡村志)。これによれば、もと「伊佐弥里」(現左京区岩倉花園町)にあった祭神をこの地に移建し、創祀したことになる。中世には賀茂御祖かもみおや神社(下鴨社)の末社で(雍州府志)、社伝によれば境内摂社の玉柳神社(玉柳稲荷社)はかつてこの付近にあった団子の森より移して合祀したものという。応仁文明の乱の際、神社を中心に「田中構」が築かれたが、文明六年(一四七四)八月一日に西軍の攻撃で炎上、神社も焼亡した(実隆公記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「田中神社」の解説

田中神社

和歌山県西牟婁郡上富田町にある神社。八上神社の南東約800m、岡川左岸の水田地帯に位置する。神社の森は、かつて当地の北約6kmにある岡川八幡神社上手の倉山の森が、大水で流されて漂着したものと伝わる。大正時代に八上神社に合祀されたが、南方熊楠森林保存に尽力し、国指定名勝「南方曼陀羅の風景地」の構成地のひとつとなっている。春には熊楠が命名したオカフジの花が楽しめる。

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