田中稲城(読み)たなかいなぎ(英語表記)Tanaka Inagi

図書館情報学用語辞典 第5版 「田中稲城」の解説

田中稲城

1856(安政3)-1925(大正14).山口県岩国出身.帝国図書館および日本図書館協会の生みの親であり,日本最初の図書館学者.岩国藩校養老館に学んだ後,1881(明治14)年東京大学文学部和漢文学科卒業.同大学助教授兼同大学図書館勤務を経て,文部省に勤務.1888(明治21)年図書館学修学の最初の留学生として米欧に1年半学ぶ.帝国大学文科大学教授,東京図書館長兼任を経て,東京図書館長専任となる.先進諸国の国立図書館に比べ著しく劣悪な実状を訴え,1892(明治25)年に図書館員を組織して日本文庫協会(現 日本図書館協会)を設立し,初代会長となる.1896(明治29)年,帝国図書館設立の建議議院を通過する際に尽力,文部省所管の東京図書館をもとに成立した帝国図書館の初代館長となり,1921(大正10)年まで務めた.「図書館令公布翌年に文部省が図書館運営の手引書として編纂した『図書館管理法』(1900)を執筆した.

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朝日日本歴史人物事典 「田中稲城」の解説

田中稲城

没年:大正14.2.22(1925)
生年:安政3(1856)
明治期の帝国図書館(国立国会図書館)初代館長。日本の図書館学研究の先導者。岩国藩(山口県)藩士末永藤三の3男,のち田中家の養子となり,稲城と改名。明治14(1881)年東大卒業,同校助教授。19年文部省出仕,東京図書館勤務,21年わが国最初の「図書館事務ニ関スル学術修業」のため米,英に留学。23年帰国後,帝国大学図書館と東京図書館(のち帝国図書館)の両館長を兼ね,26年より東京図書館長専任となる。以後大正10(1921)年まで国立図書館の制度化,規模拡大などに尽力した。この間,日本図書館協会を組織。初代会長として全国の図書館発展と図書館員の育成に努力した。長州閥,東大出身でありながら顕栄を求めず,名利に淡白で生涯図書館のために尽くした。<参考文献>竹林熊彦「田中稲城」(『図書館雑誌』36巻2号),石井敦編『図書館を育てた人々日本篇』

(石井敦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田中稲城」の意味・わかりやすい解説

田中稲城
たなかいなき

[生]安政3(1856).1.6. 岩国
[没]1925.2.22.
文部官僚。近代日本の図書館事業の基礎を築く。欧米の図書館の業務,組織を導入し,日本文庫協会を設立して図書館運動を推進した。 1881年東京大学を卒業,東大御用掛,助教授を経て,文部省入省。東京図書館,東京教育博物館の運営にたずさわる。のち図書館事業の調査のために欧米留学 (1888~90) ,帰国後,東京大学教授となり,東京図書館長を兼任する。著書『図書館管理法』 (1900) は,日本初の図書館経営書である。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中稲城」の解説

田中稲城 たなか-いなぎ

1856-1925 明治-大正時代の図書館学者。
安政3年1月6日生まれ。明治21年英,米に留学,帰国後帝国大学教授兼東京図書館長。30年上野の帝国図書館初代館長となる。日本文庫協会(現日本図書館協会)の設立にもつとめた。大正14年2月23日死去。70歳。周防(すおう)(山口県)出身。東京大学卒。本姓は末永。初名は林蔵。著作に「図書館管理法」。

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