日本大百科全書(ニッポニカ) 「田植神事」の意味・わかりやすい解説
田植神事
たうえしんじ
イネの豊作を祈って、田植時に行う神事。田植祭ともいわれる。田植ばかりでなく、原本的には稲作そのものがカミゴトであった。つまり、稲には稲魂(いなだま)が宿るものと考え、種下ろしにはそれの宿る種子を祭って播(ま)き、田植には同じくその稲苗を祭って植え、取り入れにはその稲穂を祭ることをしていたのである。その稲魂から年魂(としだま)、年神(としがみ)が考え出され、中世以後には田の神などとよばれるようにもなり、歴史的な変遷のあったことを確かめることができる。
田植神事は、二つの側面からみなければならない。その一は家ごとの田植である。これについては「田植儀礼」の項を参照されたい。
その二は神社の田植である。氏神や鎮守の神々も自己の食物を得るための神田(ミトシロ)をもち、稲をつくっていた。神田は律令(りつりょう)制下でも免租地とされ、正味は小面積であったが、大社では年中の祭料をまかなう田を含め、数十町歩に及ぶものもあった。しかし、旧官国幣社などでは明治の変革で神田を失い、また一般には小作(こさく)田としていたため、第二次世界大戦後の農地解放で失ったものが多い。
伊勢(いせ)の内外両宮の例でみると、平安初期には神田の田植はなく、直播(じかま)き法であったようだが、同末期には移植法になっていた。旧官国幣社のうち、いまも御田植をしているのは四十数社にとどまり、そのなかには実際に神田の田植をするものと、物まねの形の田植をしているものとがある。実際に田植をする伊勢神宮や住吉(すみよし)大社などでは、早苗を祭って田植をする手ぶりとともに、田楽(でんがく)を導入した中世の大田植の遺風をみることができる。
[新井恒易]