日本大百科全書(ニッポニカ) 「田熊常吉」の意味・わかりやすい解説
田熊常吉
たくまつねきち
(1872―1954)
タクマ式ボイラーの発明者。鳥取県東伯郡東園(ひがしその)村(現、北栄(ほくえい)町)に表具師の子として生まれる。15歳のときから京都の医者の書生、神戸(こうべ)の貿易会社社員などを経て、27歳からは神戸の材木商に勤めた。32歳のとき、この会社が破産に瀕(ひん)したためこの事業を受け継いだ。材木の仕入れ先の和歌山で製材機の発明家岡本弥三郎と知り合い、製材機用ボイラーの開発を志した。1911年(明治44)開発に着手し、血液の循環にヒントを得て、翌1912年水管ボイラーの試作に成功し、1913年(大正2)にはタクマ式汽罐(きかん)の特許を得た。その要点は、受水器と降水管を使ってボイラー水の循環を良好にし、蒸発を早めて効率を大きくするところにあった。彼のボイラーは1914年の第2回発明博覧会で最高金賞を受けてからしだいに有名になったが、第一次世界大戦後の不況で、彼の特許権と事業のいっさいは1921年に汽車製造会社(1972年川崎重工業に吸収合併)に譲られ、彼はそこの嘱託となって改良を続けた。その結果、1929年(昭和4)東京で開かれた万国工業会議で彼のボイラーは世界最高のものと評価されるに至った。さらに小型の「つねきちボイラー」を発明し、その製作販売のため、1938年田熊汽罐製造会社(現、タクマ)を創立した。
[山崎俊雄]