改訂新版 世界大百科事典 「白〓教」の意味・わかりやすい解説
白教 (びゃくれんきょう)
Bái lián jiào
中国,宋・元・明・清にわたる民間宗教の一派。その起源は南宋の茅子元の白蓮宗にさかのぼる。茅子元の白蓮宗は五戒を奉持し,阿弥陀仏を念じて浄土に生まれることを願う念仏結社であった。その教団は指導層が半僧半俗の妻帯者であったところに特色があり,また菜食主義を奉じたところから白蓮菜とも呼ばれた。茅子元は,また,仏教教理を〈普・覚・妙・道〉の4字に要約して信者を指導した。白蓮宗は高宗の時代(1127-62)に厚遇を受け民間に浸透したが,茅子元の死後はしだいに反体制的な傾向を帯びていった。元の中期に普度が出て《廬山蓮宗宝鑑》を著し白蓮宗の浄化を叫んだが,その著の中には,民間の白蓮宗の信徒のなかに,〈弥勒仏下生〉をいい,また邪言を伝授して,夜に集会し明け方に散じていく者のあったことを指摘しており,白蓮宗が民衆の反体制的な運動の温床となっていたことが知られる。
元末になると各地で白蓮教徒の反乱が起こるが,その代表的なものが韓山童集団と徐寿輝集団による反乱である。韓氏は韓山童の祖父の代から白蓮会を組織し,韓山童の時に至って,〈天下大いに乱れ,弥勒仏下生す〉という口号(スローガン)を掲げ,劉福通らと結んで反乱を起こした。韓山童は早期に官憲に捕らえられたが,彼の子韓林児は劉福通に擁され,小明王と称し,亳(はく)州において宋国を立て元号を竜鳳と定めた。この〈明王〉という称号は,あるいは仏教に由来するものとされ,またマニ教に由来するものともされる。次に,徐寿輝集団は参謀彭瑩玉(ほうえいぎよく)が徐寿輝を頭目に推して結成したもので,反乱に当たって〈弥勒仏下生〉を唱え,蘄水(ぎすい)を国都として天完国を樹立した。この徐寿輝集団には,鄒普勝,欧普祥,趙普勝などのように,〈普〉の字を名の上に冠した人が多いが,これは〈普・覚・妙・道〉を標榜した茅子元の白蓮宗においても見られるところで,相互の連関が考えられる。
明代に入って,白蓮教はますます,民衆の間に浸透し,明一代には,《明実録》によれば,八十数回もの白蓮教関係の事件が起こっている。その最大のものは明末の山東に起こった王森・徐鴻儒の乱であろう。また明代に入ると,白蓮教系の諸教団では,布教のための経典が製作されるようになった。この通常,宝巻と呼ばれる経典のなかには,〈真空家郷〉〈無生父母〉の語が見られ,明末から清代にかけては白蓮教の〈八字真言〉といわれるようになった。この〈八字真言〉は,民衆が,現実の父母や家・故郷との関係,すなわち地縁的・血縁的関係を否定して反体制的行動に身を投じる際に有力に働いた思想である,という見方も行われている。清代に入っても,持斎,念誦,戒貪,戒淫などの修行により,仏に成り,仙人に成ることを求めた白蓮教徒の活動は活発で,嘉慶朝には,混元教の劉松の弟子劉之協が中心となり,明の遺裔という牛八を立て,劉四児を弥勒仏転世として,牛八を補佐させ,混元教を改めて三陽教とし,大規模な反乱を起こしている。
→紅巾の乱 →弥勒信仰
執筆者:砂山 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報