白鳥事件(読み)シラトリジケン

デジタル大辞泉 「白鳥事件」の意味・読み・例文・類語

しらとり‐じけん【白鳥事件】

昭和27年(1952)1月に札幌市警本部の白鳥一雄警部が射殺された事件首謀者とされた村上国治は、最高裁で懲役20年の刑が確定したが、無罪を主張し、再審請求特別抗告を行った。最高裁はいずれも棄却したが、再審においても「疑わしきは被告人利益に、という刑事裁判鉄則が適用されるものと解すべきである」との判断を示し、以後、再審開始の要件が緩和された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白鳥事件」の意味・わかりやすい解説

白鳥事件
しらとりじけん

1952年(昭和27)1月21日、札幌市警本部警備課長白鳥一雄(かずお)警部が射殺された事件。捜査当局は日本共産党関係者の犯行断定、同党札幌委員会委員長村上国治(くにじ)らを逮捕した。しかし実行行為者とされる人物ほか多くは行方不明のままであり、事件と村上を結ぶのは、いわゆる転向組の供述と、射撃訓練を行ったという幌見(ほろみ)峠で掘り出した弾丸2発だけであった。判決は63年10月最高裁判決で確定(懲役20年)したが、村上は終始無実を主張し、確定後も再審請求・請求棄却に対する異議申立てを続けた。この間、事件は社会的関心をよび、110万人余の署名、79市町村の地方決議、白鳥大行進など大衆的裁判運動が進められる一方、唯一の物証たる弾丸の証拠価値が崩され、裁判所も権力犯罪が存在する可能性に言及せざるをえないほどであった。

 1975年最高裁は特別抗告を棄却したが、その際、再審についても「疑わしいときは被告人の利益に、という刑事裁判の鉄則が適用されるものと解すべきである」との画期的判断を下し、「開かずの門」といわれてきた再審請求の道を開く判例となった。

[荒川章二]

『松本清張著『日本の黒い霧』(文春文庫)』『上田誠吉著『国家の暴力と人民の権利』(1973・新日本出版社)』『田中二郎他著『戦後政治裁判史録 第2巻』(1980・第一法規出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「白鳥事件」の意味・わかりやすい解説

白鳥事件 (しらとりじけん)

1952年1月21日夜,札幌市警察本部警備課長の白鳥一雄警部が自転車で帰宅途中,後方から自転車で追ってきた男にピストルで射殺された事件。警察は日本共産党関係者の犯行と断定して,同党札幌市委員会委員長の村上国治らを逮捕,札幌地方検察庁も55年8月,村上とほか2人を殺人の共謀共同正犯として起訴した。村上は,警察のでっちあげだとして無罪を主張しつづけ,〈無実の国治を返せ〉と叫ぶ救援運動が活発になった。でっちあげか謀殺かで争われた裁判は,57年5月,札幌地方裁判所が無期懲役(他の2人は懲役3年。1人は服役する),第二審の札幌高等裁判所では懲役20年となり,63年10月17日,最高裁判所の上告棄却により他の1人とともに刑が確定した。また最高裁は75年5月21日,村上の再審請求の特別抗告を棄却した(〈再審〉の項を参照)。事件の直接の実行者と目された者など7人は行方不明となり,北海道地方警察本部は4人について国外逃亡を理由に時効停止の手続をとった。
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百科事典マイペディア 「白鳥事件」の意味・わかりやすい解説

白鳥事件【しらとりじけん】

1952年札幌市警察本部の白鳥警備課長が殺害された事件。警察は日本共産党関係者の犯行とみて捜査し,1955年共産党地区委員長らが起訴され,控訴・上告を経て1963年に懲役20年の刑が確定した。これに対して再審請求がなされ,1975年最高裁判所はこの特別抗告を棄却したが,決定理由の中で,従来の再審開始の要件を大幅にゆるめ,全証拠の総合評価の方式および〈疑わしきは被告人の利益に〉の原則の再審請求への適用を説いた。このいわゆる〈白鳥決定〉は,その後の再審請求実務・理論の展開に大きな影響を与え,実際,いったん死刑が確定した事件についての再審無罪の判決がいくつか出た。しかし最近では再び再審請求に対して厳格な対応がとられつつあるという批判がある。

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