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目賀田種太郎 めがた たねたろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

目賀田種太郎 めがた-たねたろう

1853-1926 明治-大正時代の官僚。
嘉永(かえい)6年7月21日生まれ。文部省,司法省をへて明治16年大蔵省にはいる。27年主税局長となり,日清戦争後の税制整備にあたる。37年韓国政府財政顧問に転じ,朝鮮貨幣の整理など,財政金融制度の再編をすすめた。貴族院議員,枢密顧問官。大正15年9月10日死去。74歳。江戸出身。ハーバード大卒。

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朝日日本歴史人物事典の解説

目賀田種太郎

没年:大正15.9.10(1926)
生年:嘉永6.7.21(1853.8.25)
明治大正期の大蔵官僚。旗本目賀田幸助の長男。明治3(1870)年大学南校入学,半年後にアメリカに留学,7年ハーバード大学法学部卒業。帰国後,横浜米国領事裁判所代言人など法律家として活動し,14年横浜裁判所判事。16年大蔵省に入り,24年横浜税関長,27年主税局長。以後10年間にわたり税収の増加と近代的税制の整備に努め,日清戦争(1894~95)後急膨張する国家財政を租税面から支えた。1904年から1910年まで韓国財政顧問,同財政監査長官を務め,韓国の財政金融制度の改革を指導した。明治37年勅選貴族院議員。40年男爵。大正12(1923)年枢密顧問官。<参考文献>松木重威『男爵目賀田種太郎』

(小風秀雅)

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世界大百科事典 第2版の解説

めがたたねたろう【目賀田種太郎】

1853‐1926(嘉永6‐昭和1)
明治時代の大蔵官僚,韓国財政顧問。江戸生れ。18歳から8年間,アメリカに留学したのち,文部省官吏,代言人,判事をへて1883年大蔵省に任官。日清戦争勃発時に同省主税局長となり,地租増徴などの増税,沖縄土地整理,地価修正,関税改正などの事業にたずさわり,戦費調達と軍拡基調の日清戦後経営を税制面から支えた。日露戦争勃発の1904年,第1次日韓協約にもとづく韓国財政顧問設置にともない同局長から同顧問に転じ,07年の第3次日韓協約による韓国保護国化までの3年間のうちに,日本軍を背景とする強力かつ急激な幣制・財政改革を断行して植民地的経済基盤を一挙につくりあげた(朝鮮貨幣整理事業)。

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世界大百科事典内の目賀田種太郎の言及

【朝鮮貨幣整理事業】より

…1904年の第1次日韓協約にもとづき目賀田種太郎韓国財政顧問が行った新貨幣発行・旧貨幣回収事業。目賀田は典圜(てんえん)局閉鎖によって朝鮮独自の貨幣発行を禁ずる一方,日本の第一銀行韓国支店に中央銀行的役割を担わせ,国庫,発券業務を担当させた。…

※「目賀田種太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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