現在の相撲サービス会社のこと。国技館内の一定の場席(主として桟敷(さじき)升)を,日本相撲協会の割当てによって配付され,これを顧客に取次ぎするプレーガイドの役目を引き受ける協会の外郭団体である。そして顧客と一般客,団体客の申込みに応じ,あらゆる便宜を提供し,飲食物,みやげ物など注文に応じて席へとどけるしくみになっている。相撲茶屋の発生は,江戸勧進相撲の制度組織ができた宝暦・明和(1751-72)のころからである。初めは相撲見物の者が10人,20人と仲間を誘い合わせてつくった講中のようなものがしだいに案内所として発達した。江戸相撲全盛期の寛政年間(1789-1801)には,出方(桟敷札の売りさばき人),物持(案内人)と彼らをやとう桟敷方(相撲茶屋の前身)という形態が組織だったものとなった。その後1833年(天保4),当時の相撲会所は14人の桟敷方との間のもめごとをなくすために,全年寄の加判のうえ,契約書を取りかわして桟敷方の永代権利を認めることになった。1909年6月,東京の両国に国技館が建設されたとき茶屋は20軒になり桟敷方の資金によって付属建物ができ,相撲茶屋と呼ばれることになった。同時に従来の出方は案内人の性格に変わって,この形態は今日に及んでいる。独占事業であったため弊害も多く,57年,国会で相撲協会の運営問題が取り上げられたとき,相撲茶屋も改革の対象となり,相撲サービス株式会社に改組され,それまで〈高砂家〉などと称した家号は,1号から20号まで何号と呼ぶようになった。
執筆者:池田 雅雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…遊郭には編笠茶屋,引手茶屋があり,茶屋と略称されることがあった。また芝居茶屋,相撲茶屋は,それぞれ歌舞伎劇場や相撲小屋に付属して案内や休息のために設けられたが,後年にはそれらの興行に参画する業者もあった。 このように多様に分化した茶屋は,明治以後の社会の変化と西欧の同種業態の移入に影響を受けて,喫茶店や食堂に変容するものがあったり,カフェーなどの新形態をも生み出す一方で,引手茶屋や芝居茶屋などのように,完全に消滅したものも少なくない。…
※「相撲茶屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加