知恵蔵 「相馬野馬追」の解説
相馬野馬追
起源は千年以上も前、明治維新までこの地を治めてきた相馬氏の祖とされる平将門が、野馬を敵に見立てて軍事演習を行ったことに始まるという。古くは5月の申の日に行われていたといい、何度か廃絶の危機や日程変更を伴いながら現在まで続いている。近年は7月23~25日に行われてきたが、2011年から7月最終の土、日、月曜開催に変更された。
1日目の宵祭りは、3社に集合した武者が出陣式の後、祭場地に向かい、古式馬具をつけて「宵乗り」と呼ばれる競馬を行う。2日目の本祭りは、装飾された馬に甲冑姿で乗る騎馬武者が隊列を組んで祭場地に向かう「お行列」で始まる。続いて、兜(かぶと)を脱いだ騎馬武者が旗指物をなびかせながら疾走する「甲冑競馬」、打ち上げ花火に仕込んだ神旗を騎馬武者が奪い合う「神旗争奪戦」が繰り広げられる。3日目は、小高神社境内に追い込んだ裸馬を素手で捕らえて奉納する「野馬懸(のまがけ)」の神事がある。
11年は、東日本大震災の影響で開催が危ぶまれたが、鎮魂と復興のシンボルとして一部の行事のみ実施する。相馬3社のうち、小高神社は立ち入り禁止の警戒区域に、太田神社は福島第一原子力発電所から半径20~30キロメートル圏内の緊急時避難準備区域にある。
(原田英美 ライター / 2011年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報