石作郷(読み)いしつくりごう

日本歴史地名大系 「石作郷」の解説

石作郷
いしつくりごう

和名抄」高山寺本は訓を欠き、東急本・元和古活字本には「以之豆久利」の訓が付される。石作郷は山田郡にも存在する。郷名の初出は平城宮出土木簡に「尾張国中嶋郡石作郷」「(酒)米五(斗) 九月廿七日」とあるもので、同時に出土した他の木簡の年紀から、奈良時代前半頃の木簡と考えられる。これは、当郷から酒造用の米である酒米を中央へ貢進した際の付札である。こうした尾張国からの酒米の貢進は、天平六年(七三四)度の尾張国正税帳(正倉院文書)にもみられるところである。郷域について、「日本地理志料」は「亘石作、方領、森、今宿上条土田、萱津諸邑松葉、其故区也」とし、現西春日井郡清洲きよす南部から海部あま甚目寺じもくじ町の北部および南東部にかけての一帯をそれに比定する。


石作郷
いしつくりごう

「和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。「和名抄」当国中嶋郡石作郷には「以之豆久利」(東急本・元和古活字本)の訓が付されており、当郷も「いしつくり」と読んでよい。郷名の初出は、天平勝宝二年(七五〇)四月七日付の智識優婆塞貢進文(正倉院丹裏古文書)で「凡人部万呂年廿 尾張国山田郡石作郷戸主日下部建安万呂戸口」とある。これは、当郷の日下部建安万呂の戸口である凡人部万呂を、中央へ貢挙した際の貢進状で、この時点では、大仏造立事業に奉仕したものと考えられる。資料の末尾には異筆で「四月 五月」とあり、四月、五月の二ヵ月間服役したことを示す。


石作郷
いしつくりごう

「和名抄」所載の郷。高山寺本は「石作」とし、訓を「以之都久利」とする。東急本は「石保」とつくる。「播磨国風土記」に石作里がみえる。石作首が同地に居住したゆえに石作と称したが、庚午年の天智九年(六七〇)に石作里としたという。庚午年籍の作成に伴って里が成立したことを示す。里に阿和賀あわか山・伊加麻いかま川がある。いずれも伊和大神の国占にかかわる伝承を記し、前者に大神の妹である阿和加比売命の存在を記す。


石作郷
いしつくりごう

「和名抄」は刊本に「以之都久利」と訓ず。

類聚国史」には延暦一一年(七九二)閏一一月一八日に「幸高橋津、便遊猟于石作丘」とある。「延喜式」諸陵寮式には「石作陵 贈皇后高志内親王、在山城国乙訓郡、兆域東西三町、南三町、北六町、守戸五烟」とし、同神名帳にみえる石作神社(現西京区)は既に貞観元年(八五九)に従五位下に叙されている(「三代実録」同年正月二七日条)。石作寺(跡地は現西京区)も存在し、元慶三年(八七九)には公田四段余が施入され(「三代実録」元慶三年閏一〇月五日条)、「延喜式」巻二一にも「凡近都諸寺、東拝志以北、西石作以北、停預講師、僧綱検察」とあって石作寺のことがみえている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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