石作郷
いしつくりごう
「和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。「和名抄」当国中嶋郡石作郷には「以之豆久利」(東急本・元和古活字本)の訓が付されており、当郷も「いしつくり」と読んでよい。郷名の初出は、天平勝宝二年(七五〇)四月七日付の智識優婆塞貢進文(正倉院丹裏古文書)で「凡人部万呂年廿 尾張国山田郡石作郷戸主日下部建安万呂戸口」とある。これは、当郷の日下部建安万呂の戸口である凡人部万呂を、中央へ貢挙した際の貢進状で、この時点では、大仏造立事業に奉仕したものと考えられる。資料の末尾には異筆で「四月 五月」とあり、四月、五月の二ヵ月間服役したことを示す。
石作郷
いしつくりごう
「和名抄」所載の郷。高山寺本は「石作」とし、訓を「以之都久利」とする。東急本は「石保」とつくる。「播磨国風土記」に石作里がみえる。石作首が同地に居住したゆえに石作と称したが、庚午年の天智九年(六七〇)に石作里としたという。庚午年籍の作成に伴って里が成立したことを示す。里に阿和賀山・伊加麻川がある。いずれも伊和大神の国占にかかわる伝承を記し、前者に大神の妹である阿和加比売命の存在を記す。
石作郷
いしつくりごう
「和名抄」は刊本に「以之都久利」と訓ず。
「類聚国史」には延暦一一年(七九二)閏一一月一八日に「幸高橋津、便遊猟于石作丘」とある。「延喜式」諸陵寮式には「石作陵 贈皇后高志内親王、在山城国乙訓郡、兆域東西三町、南三町、北六町、守戸五烟」とし、同神名帳にみえる石作神社(現西京区)は既に貞観元年(八五九)に従五位下に叙されている(「三代実録」同年正月二七日条)。石作寺(跡地は現西京区)も存在し、元慶三年(八七九)には公田四段余が施入され(「三代実録」元慶三年閏一〇月五日条)、「延喜式」巻二一にも「凡近都諸寺、東拝志以北、西石作以北、停預講師、僧綱検察」とあって石作寺のことがみえている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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