古筆切の一つであるが,同名のものが,3種ある。一つは平安初期書写と思われる《春秋経伝集解(しつかい)》の断簡で,もとの本が石山寺にあったところから,こう呼ぶと考えられる。第2は鎌倉時代書写の《新古今和歌集》の断簡である。しかし最も有名で貴重なものは西本願寺本《三十六人集》のうち,〈貫之集〉下と〈伊勢集〉を切った2帖である。本願寺はもと大坂の石山にあり,16世紀中ごろ後奈良天皇から同寺の証如上人が《三十六人集》を拝領した。この由緒にちなんで命名したのであるが,これを切ったのは新しく,1929年,真宗系の女子大学を建設する費用を得るためにあえてしたもので,当時大いに物議をかもした。したがって諸所に散らばってしまったが,所在の判明するものはおおむね重要文化財に指定されている。〈貫之集〉の筆者は藤原定信と考えられ,〈伊勢集〉は不明である。料紙は継紙がみられ〈伊勢集〉はそれが最も多く,多彩な装飾がみごとである。
執筆者:田村 悦子
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『本願寺本三十六人家集』(京都・西本願寺蔵)のうち、『伊勢(いせ)集』および『貫之(つらゆき)集下』の断簡をいう。もとは粘葉装(でっちょうそう)の冊子本で、1929年(昭和4)に切断され、諸家に分蔵される。分割の際、本願寺がもと摂津国石山(現在の大阪城のあたり)にあったことにちなみ、益田鈍翁(ますだどんおう)によって命名された。『伊勢集』の筆者は不明(伝藤原公任(きんとう))であるが、『貫之集下』は、藤原行成(ゆきなり)5代目の孫、藤原定信(さだのぶ)(1088―1156ころ)の真筆で、およそ1112年(天永3)ごろの書写と推定される。白具引き地の唐紙を中心に、茶、藍(あい)、縹(はなだ)色の染紙を用い、切り継ぎや破り継ぎ、という本願寺本独特の手法に、銀泥で小鳥や折枝の下絵を描くなど、華麗な王朝貴族の美意識を顕著に反映したものである。
[神崎充晴]
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