国指定史跡ガイド 「石清水八幡宮境内」の解説
いわしみずはちまんぐうけいだい【石清水八幡宮境内】
京都府八幡(やわた)市八幡高坊にある神社。京都盆地の南西に位置し、淀川左岸の標高約120mの男山(おとこやま)山頂に立地する。男山八幡宮とも呼ばれ、社名は男山の中腹に湧き出る「石清水」に由来するという。京都の鬼門(北東)を守護する延暦寺と相対するように、京都の裏鬼門(南西)を守護する王城鎮護の社として重要視された。祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神(おうじん)天皇)、比咩大神(ひめおおかみ)(宗像(むなかた)三女神)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功(じんぐう)皇后)の3神で、八幡大神と総称される。859年(貞観1)、奈良大安寺の僧、行教(ぎょうきょう)が宇佐八幡宮で神託を受け、翌860年(貞観2)、山城国男山山頂に八幡大神を勧請して社殿を建立したのが始まりとされる。創建当初から境内にあった護国寺と一体になった神仏習合の宮寺で、境内には寺院施設、社僧の坊が多数設けられていた。939年(天慶2)には伊勢神宮に次いで奉幣される地位を得、天皇・上皇の行幸、御幸も慣行となり、藤原氏の参詣も相次ぐなど、朝廷・貴族の厚い崇敬を受けた。また、武家の棟梁として台頭してきた源氏はとくに厚く信仰し、源義家は石清水八幡宮で元服し、みずからを八幡太郎義家と名乗った。源氏による鎌倉・鶴岡(つるがおか)八幡宮の造営を代表として、八幡神は各地に勧請され、その信仰が広まった。一度石清水八幡宮へ行ってみたいと思っていた仁和寺の僧が、麓の高良神社や極楽寺だけを参拝して帰ったという話が『徒然草』にあるように、境内は広大で、本殿・幣殿・楼門・回廊・摂社若宮社をはじめ、16棟の建物が重要文化財に指定されている。発掘調査によって、護国寺跡や坊舎跡などの遺構が良好に残っていることが確認され、古代以来の神社境内の趣を今に伝えるとともに、神仏習合の宮寺の側面からも、わが国の宗教史を理解するうえで重要として、2012年(平成24)に国の史跡に指定された。京阪電気鉄道八幡市駅から男山ケーブル「男山山上駅」下車、徒歩約5分。