天智天皇の曾孫,施基(志貴)皇子の孫,榎井親王の子,光仁天皇の甥。767年(神護景雲1)従五位下,770年(宝亀1)従四位下,このころ光仁天皇皇女三品美弩摩内親王と婚。左大舎人頭,大蔵卿をへて779年参議,その後大蔵卿や弾正尹を兼ね,786年(延暦5)正四位上。791年桓武天皇を邸に迎え,794年従三位中納言,796年大納言,翌年刪定令格を奏上,798年右大臣,802年と803年桓武天皇に奉献した。806年桓武天皇の没後,4月13日代表して皇太子(平城)に即位を上啓したが,24日に没した。《日本後紀》の没時の伝に,〈性恭勤,文少なく,物に接して淡若,顕貴に居ると雖も克く終を有つ〉とある。桓武天皇に廃された皇太子早良(さわら)親王の妹が妻であったことを指すものと思われる。
執筆者:水野 柳太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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