講釈師。初代は神田派の祖と伝えられ、2代は初代門人で水戸に住んだため水戸伯竜と称せられた。ところが、3代伯竜が大阪の神田伯清に名前を売ったため伯竜の名跡は東西に分かれ、のち一竜斎貞三(ていぞう)が大阪の2代伯竜を襲名したが、その後大津・大阪に同時に伯竜が出現するなど複雑である。以下東京の代を記す。
[延広真治]
(1856―1901)本名松村伝吉。1883年(明治16)ごろ伯治より襲名。『祐天吉松(ゆうてんきちまつ)』を得意とした。実子は4代小金井芦洲(ろしゅう)。ついで伯鯉(はくり)(本名秋元格之助)が1904年(明治37)伯竜となったが、翌年講談界分裂に際し、師匠初代神田松鯉(しょうり)に背いたため、芸名を取り上げられ西尾麟慶(りんけい)となった。
[延広真治]
…気位が高く,ほかの芸人のように町家に出入りして芸を披露することをしなかった。のち神田派の祖となった講釈師の初代神田伯竜は,神田辺羅坊寿観(べらぼうすかん)の高弟であったが,この神田白竜子にあやかって命名したもの。【矢野 誠一】。…
※「神田伯竜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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