神田伯龍(読み)かんだはくりゅう

精選版 日本国語大辞典 「神田伯龍」の意味・読み・例文・類語

かんだ‐はくりゅう【神田伯龍】

  1. 五代講談師初代神田派の祖。東京出身。本名、戸塚岩太郎。三代神田伯山の門にはいったが、世話講談の一立斎文慶の影響を多く受け、「小猿七之助」「天保六花撰」などの生世話物にすぐれた。明治二三~昭和二四年(一八九〇‐一九四九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「神田伯龍」の解説

神田 伯龍(6代目)
カンダ ハクリュウ


職業
講談師

本名
小村井 光三郎(コムライ ミツサブロウ)

別名
旧芸名=神田 伯梅(3代目),神田 伯治(4代目),神田 光庸

生年月日
大正15年 6月23日

出生地
東京都 大田区大森海岸

学歴
入新井第五小卒

経歴
実家は名の知れた料亭。昭和14年5代目神田伯龍に入門、3代目伯梅を名乗る。22年弱冠20歳で真打ち昇進、4代目伯治を襲名。31年一時、神田光庸を名乗るが、間もなく伯治に戻す。57年6代目伯龍を襲名。同年「小猿七之助」で芸術祭優秀賞を受賞。江戸の庶民の暮らしを描いた世話講談の第一人者として知られた。

受賞
芸術祭賞優秀賞〔昭和57年〕「小猿七之助」,下町人間庶民文化賞〔平成4年〕

没年月日
平成18年 11月17日 (2006年)

家族
養子=一龍斎 貞山(8代目)

伝記
再会の手帖―また逢いたい男たち小沢昭一がめぐる寄席世界 関 容子 著小沢 昭一 著(発行元 幻戯書房朝日新聞社 ’07’04発行)


神田 伯龍(4代目)
カンダ ハクリュウ


職業
講談師

本名
松村 伝吉

別名
前名=伯次,伯治

生年月日
安政3年

出生地
江戸(東京都)

経歴
12歳のとき講談師の初代神田伯山に入門し、伯次、次いで伯治を名乗る。明治6年師の死去に伴い、2代目伯山の門下に移った。18年には4代目伯竜を襲名。大坂ダネの話であった「祐天吉松」を東京に移植し、当たり芸とした。同時期、東京から大阪に移った神田伯清が伯竜(大阪の初代)を称するようになり、その名跡東西に分裂した形となった。

没年月日
明治34年 6月23日 (1901年)

家族
子=小金井 芦洲(4代目)


神田 伯龍(5代目)
カンダ ハクリュウ


職業
講談師

本名
戸塚 岩太郎

別名
前名=神田 伯星,神田 五山

生年月日
明治23年 6月25日

出生地
東京・下谷

経歴
14歳の時、3代目神田伯山の門に入り、伯星、五山と名乗って明治45年5代目伯龍を襲名。師匠より一立斎文慶の影響もあって「小猿七之助」「鼠小僧」「天保六花撰」など世話物を得意とした。小島政二郎の出世作「一枚看板」のモデルといわれる。

没年月日
昭和24年 5月17日 (1949年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「神田伯龍」の解説

神田 伯龍(5代目)
カンダ ハクリュウ

明治〜昭和期の講談師



生年
明治23(1890)年6月25日

没年
昭和24(1949)年5月17日

出生地
東京・下谷

本名
戸塚 岩太郎

別名
前名=神田 伯星,神田 五山

経歴
14歳の時、3代目神田伯山の門に入り、伯星、五山と名乗って明治45年5代目伯龍を襲名。師匠より一立斎文慶の影響もあって「小猿七之助」「鼠小僧」「天保六花撰」など世話物を得意とした。小島政二郎の出世作「一枚看板」のモデルといわれる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android