福原 百之助(5代目)
フクハラ ヒャクノスケ
- 職業
- 長唄囃子方(笛方・小鼓方)
- 専門
- 篠笛,小鼓
- 肩書
- 福原流百之助派家元(5代目)
- 本名
- 若林 市太郎
- 別名
- 前名=若林 福太郎
- 生年月日
- 明治17年 7月11日
- 出生地
- 東京都
- 経歴
- 明治29年2代目宝山左衛門に14歳で入門、笛・鼓を学ぶ。大正6年5代目福原百之助を襲名。2代目市川猿之助一座の囃子頭を務め活躍する。「黒塚」「二つ巴」「春の宵」など作曲。昭和3年篠笛の奏法を音符化し「篠笛教則本」をまとめる。東京芸術大学講師として笛・鼓を指導する一方で、蔭囃子についての詳細な記録「黒美寿」を残している。長唄協会副会長・相談役・顧問を歴任。
- 没年月日
- 昭和37年 11月26日 (1962年)
- 家族
- 父=福原 百之助(4代目),長男=宝 山左衛門(4代目)
- 伝記
- 横笛の魅力 宝 山左衛門 著(発行元 出版芸術社 ’02発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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福原 百之助(5代目)
フクハラ ヒャクノスケ
大正・昭和期の長唄囃子方(笛方・小鼓方) 福原流百之助派家元(5代目)。
- 生年
- 明治17(1884)年7月11日
- 没年
- 昭和37(1962)年11月26日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 若林 市太郎
- 別名
- 前名=若林 福太郎
- 経歴
- 明治29年2代目宝山左衛門に14歳で入門、笛・鼓を学ぶ。大正6年5代目福原百之助を襲名。2代目市川猿之助一座の囃子頭を務め活躍する。「黒塚」「二つ巴」「春の宵」など作曲。昭和3年篠笛の奏法を音符化し「篠笛教則本」をまとめる。東京芸術大学講師として笛・鼓を指導する一方で、蔭囃子についての詳細な記録「黒美寿」を残している。長唄協会副会長・相談役・顧問を歴任。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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福原百之助(4世)
ふくはらひゃくのすけ[よんせい]
[生]明治1(1868)
[没]1917
歌舞伎囃子方,福原流家元。2世福原百之助の門弟。初め福原鶴之助。 1892年歌舞伎座の『牡丹燈籠』で5世尾上菊五郎の出に大ドロを打ち,これが巧みであったため菊五郎に引立てられ,柏扇之助の名前をもらう。師匠が6世望月太左衛門となった 1905年に4世百之助の名前を贈られたが,これは陰の名として用いなかった。
福原百之助(5世)
ふくはらひゃくのすけ[ごせい]
[生]1884.7.11. 東京
[没]1963.11.26. 東京
歌舞伎囃子方,福原流家元。本名若林市太郎。3世福原百之助の門弟。 1917年5世を襲名。歌舞伎囃子方として活躍するとともに,東京音楽学校,東京芸術大学音楽学部の講師をつとめ,また『篠笛教則本』を著わし,篠笛の音符も考案した。
福原百之助(1世)
ふくはらひゃくのすけ[いっせい]
[生]?
[没]安政6(1859)
歌舞伎囃子方,福原流家元。1世宝山左衛門の門弟。のち4世望月太左衛門の女婿となり,5世太左衛門を襲名。
福原百之助(3世)
ふくはらひゃくのすけ[さんせい]
福原百之助(6世)
ふくはらひゃくのすけ[ろくせい]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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福原百之助(5代) ふくはら-ひゃくのすけ
1884-1962 大正-昭和時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
明治17年7月11日生まれ。2代宝山左衛門(たから-さんざえもん)に師事して笛,鼓をまなぶ。大正6年5代百之助を襲名。篠笛譜を考案し,陰囃子の記録「黒美寿(くろみす)」をのこす。晩年は東京芸大講師。昭和37年11月26日死去。78歳。東京出身。本名は若林市太郎。前名は福太郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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福原 百之助(5代目) (ふくはら ひゃくのすけ)
生年月日:1884年7月11日
大正時代;昭和時代の歌舞伎囃子方
1962年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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