宝 山左衛門(4代目)
タカラ サンザエモン
- 職業
- 長唄囃子方(笛方)
- 専門
- 篠笛
- 肩書
- 福原流百之助派家元(6代目) 重要無形文化財保持者(長唄・鳴物)〔平成5年〕
- 本名
- 若林 英次(ワカバヤシ エイジ)
- 別名
- 前名=福原 英次,別名=福原 百之助(6代目)(フクハラ ヒャクノスケ)
- 生年月日
- 大正11年 1月5日
- 出生地
- 東京市 芝区宇田川町(東京都 港区)
- 学歴
- 日大一中〔昭和8年〕卒
- 経歴
- 6歳から父の5代目福原百之助に福原流小鼓、大鼓、太鼓、笛を学び、中学卒業後、舞台に出演。昭和15年父の考案した「篠笛音譜」を改良・完成。この頃より福原英次を名乗る。戦後は主に能管・篠笛で活躍。39年6代目福原百之助を襲名。篠笛演奏の第一人者といわれ、48年より毎年リサイタルを開催する。演奏活動の傍ら、創作邦楽にも取り組み、「日本の笛と管弦楽のための協奏曲」などを作曲。笛のための創作曲には「嵯峨野秋霖」「飛天」「花の寺」などがある。62年より東京芸術大学客員教授も務めた。平成4年福原流鳴物の宗家・4代目宝山左衛門も継ぐ。5年長唄鳴物で初の人間国宝に認定される。アルバムに「笛による日本の抒情歌」、著書に「横笛の魅力」がある。
- 所属団体
- 長唄協会
- 受賞
- 芸術選奨文部大臣賞(昭56年度)〔昭和57年〕 紫綬褒章〔昭和58年〕,勲四等旭日小綬章〔平成5年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和34年〕「日本の笛と管弦楽のための協奏曲」,芸術祭賞優秀賞〔昭和50年・54年〕,芸術祭賞大賞〔昭和52年〕,モービル音楽賞〔昭和55年〕
- 没年月日
- 平成22年 8月7日 (2010年)
- 家族
- 父=福原 百之助(5代目),孫=福原 百之助(7代目)
- 伝記
- 横笛の魅力笛ひとすじ 福原 百之助 著藤舎 推峰 著(発行元 新芸術社音楽之友社 ’90’87発行)
宝 山左衛門(2代目)
タカラ サンザエモン
- 職業
- 長唄囃子方(歌舞伎)
- 本名
- 田中 次郎兵衛
- 別名
- 前名=望月 鶴三郎,福原 百之助(2代目)(フクハラ ヒャクノスケ)
- 生年月日
- 天保6年 3月21日
- 出生地
- 江戸・日本橋(東京都 中央区)
- 経歴
- 5代目望月太左衛門の門弟。明治2年5代目太左衛門の後継問題で、新参者の望月太喜蔵が6代目太左衛門を襲名したのに怒り、静岡ヘ移転、初代山左衛門の実子で振付師の花川蝶十郎から2代目宝山左衛門の名跡を譲り受けて帰京、歌舞伎囃子界の中心として活躍。38年7代目望月太左衛門襲名に際し、6代目太左衛門である太喜蔵を無視して6代目望月太左衛門を名乗ったため、2人太左衛門の珍事を招いた。43年山左衛門の太左衛門が病死して2人の対立は自然解消した。
- 没年月日
- 明治43年 12月20日 (1910年)
- 家族
- 息子=宝 山左衛門(3代目)
宝 山左衛門(3代目)
タカラ サンザエモン
- 職業
- 長唄囃子方
- 本名
- 田中 春吉
- 別名
- 前名=福原 鶴三郎(2代目),福原 百之助(3代目)(フクハラ ヒャクノスケ)
- 生年月日
- 安政6年
- 経歴
- はじめ鶴三郎(2代目)を名乗る。明治38年父が6代目望月太左衛門を名乗った時に名をついで3代目宝山左衛門を襲名。明治座の囃子頭を務めた。
- 没年月日
- 大正3年 2月11日 (1914年)
- 家族
- 父=宝 山左衛門(2代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
宝山左衛門(4世)
たからさんざえもん[よんせい]
[生]1922.1.5. 東京,東京
[没]2010.8.7. 東京
長唄鳴物笛方(→鳴り物)。本名若林英次。5世福原百之助の子。1928年から小鼓,太鼓,1935年から笛を父に師事した。父が考案した篠笛の譜の改良や,従来あまり音高が定まっていなかった篠笛の改造を行なったり,なめらかに吹く奏法を工夫するなど芸術的表現を高めることに尽力した。また,長唄で使われる能管,篠笛は,ともにもっぱら唄や三味線の伴奏楽器であったが,初めて本格的に笛のための曲を創作した。1964年福原英次改め 6世福原百之助を名のる。感性豊かな表現力,ことに篠笛の音の胸にしみるような抒情性は独自であった。「第3回福原百之助 笛の会」で 1977年度芸術祭賞大賞を受賞。1992年,4世宝山左衛門を襲名した。1993年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。『嵯峨野秋霖』『飛天』『花の寺』などを作曲。著書に『横笛の魅力』(1990)がある。
宝山左衛門(2世)
たからさんざえもん[にせい]
[生]天保6 (1835)
[没]1910.12.20.
歌舞伎囃子方。本名田中次郎兵衛。明治期の歌舞伎囃子界の中心的存在の一人。5世望月太左衛門(→1世福原百之助)の門弟。万延1(1860)年 2世福原百之助を襲名。明治2(1869)年同門の望月太喜蔵が 6世望月太左衛門を襲名したのに反抗して,1世宝山左衛門の実子の振付師花川蝶十郎から譲り受けて 2世宝山左衛門を襲名。1905年 7世望月太左衛門の襲名に際し,太喜蔵の 6世望月太左衛門(1874没)を無視して 6世望月太左衛門を名のり,二人太左衛門となった。
宝山左衛門(1世)
ほうやまざえもん[いっせい]
[生]?
[没]弘化1 (1844).1.25.
歌舞伎囃子方。前名 2世真津田為吉。文化5(1808)年福原百三郎と改名し,立鼓(→タテ)に昇進。文政8(1825)年宝山左衛門を名のる。歌舞伎囃子独自の手法の確立に貢献した。
宝山左衛門(3世)
ほうさんざえもん[さんせい]
[生]安政6 (1859)
[没]1914.2.11.
歌舞伎囃子方。2世宝山左衛門の実子。本名田中春吉。3世福原百之助,2世福原鶴三郎を経て,1905年父が 6世望月太左衛門を名のったとき 3世宝山左衛門を襲名。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
宝 山左衛門(2代目)
タカラ サンザエモン
明治期の長唄囃子方(歌舞伎)
- 生年
- 天保6年3月21日(1835年)
- 没年
- 明治43(1910)年12月20日
- 出生地
- 江戸・日本橋(東京都中央区)
- 本名
- 田中 次郎兵衛
- 別名
- 前名=望月 鶴三郎,福原 百之助(2代目)(フクハラ ヒャクノスケ)
- 経歴
- 5代目望月太左衛門の門弟。明治2年5代目太左衛門の後継問題で、新参者の望月太喜蔵が6代目太左衛門を襲名したのに怒り、静岡ヘ移転、初代山左衛門の実子で振付師の花川蝶十郎から2代目宝山左衛門の名跡を譲り受けて帰京、歌舞伎囃子界の中心として活躍。38年7代目望月太左衛門襲名に際し、6代目太左衛門である太喜蔵を無視して6代目望月太左衛門を名乗ったため、2人太左衛門の珍事を招いた。43年山左衛門の太左衛門が病死して2人の対立は自然解消した。
宝 山左衛門(3代目)
タカラ サンザエモン
明治期の長唄囃子方
- 生年
- 安政6年(1859年)
- 没年
- 大正3(1914)年2月11日
- 本名
- 田中 春吉
- 別名
- 前名=福原 鶴三郎(2代目),福原 百之助(3代目)(フクハラ ヒャクノスケ)
- 経歴
- はじめ鶴三郎(2代目)を名乗る。明治38年父が6代目望月太左衛門を名のった時に名をついで3代目宝山左衛門を襲名。明治座の囃子頭を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
宝山左衛門(2代)
没年:明治43.12.20(1910)
生年:天保6(1835)
江戸後期・明治期の歌舞伎囃子方。望月太十郎の子。5代目望月太左衛門の門弟。本名,田中次郎兵衛。前名望月鶴三郎,2代目福原百之助。のち6代目望月太左衛門。明治2(1869)年,望月太喜蔵が6代目太左衛門を襲名したのを不満として静岡へ移り,同地に住む初代宝山左衛門の実子で振付師をしていた花川蝶十郎から親の名跡を譲り受け,2代目宝山左衛門を名乗って帰京,明治期の歌舞伎囃子界で中心人物のひとりとして活躍した。38年,7代目望月太左衛門の襲名に対抗し,太喜蔵の6代目を無視して6代目望月太左衛門を名乗った。ここにふたり太左衛門の時代が出現したが,山左衛門の太左衛門が没して,この対立は自然解消した。実子が3代目を継いだが,これは「ほう・さんざえもん」とも称したという。
宝山左衛門(初代)
没年:弘化1.1.25(1844.3.13)
生年:生年不詳
江戸後期の歌舞伎囃子方。「ほう・やまざえもん」と称したらしい。初代真津田為吉の門弟。前名田中源兵衛,2代目真津田為吉,福原百三郎,坂文左衛門,福原山左衛門。文政8(1825)年宝山左衛門を名乗る。4代目望月太左衛門と並び称された名人で,当意即妙の芸に優れ,能楽囃子と異なる独自の歌舞伎囃子の手法を形成するのに貢献した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
宝山左衛門(4代) たから-さんざえもん
1922-2010 昭和-平成時代の長唄囃子(はやし)方。
大正11年1月5日生まれ。5代福原百之助の長男。父から福原流小鼓,大鼓,太鼓,笛をまなび,日大第一中学卒業後舞台に出演。おもに横笛の演奏家として活躍。昭和39年6代福原百之助を襲名。平成4年4代宝山左衛門を襲名。5年人間国宝。平成22年8月7日死去。88歳。東京出身。本名は若林英次。
宝山左衛門(2代) たから-さんざえもん
1835-1910 幕末-明治時代の歌舞伎囃子方(はやしかた)。
天保(てんぽう)6年生まれ。5代望月太左衛門の門弟。6代太左衛門の襲名争いに敗れ,初代宝山左衛門の実子から2代の名跡をゆずりうける。明治38年7代太左衛門の襲名に対抗して6代太左衛門と改名。明治43年12月20日死去。76歳。本名は田中次郎兵衛。前名は望月鶴三郎,福原百之助(2代)。
宝山左衛門(初代) たから-さんざえもん
?-1844 江戸時代後期の歌舞伎囃子方(はやしかた)。
初代真津田(まづた)為吉の門にはいり,2代真津田為吉,福原百三郎などをへて文政8年宝山左衛門となる。文政-天保(てんぽう)のころ4代望月太左衛門とならんで江戸歌舞伎界の囃子方名手といわれた。ただしい読みは「ほう-やまざえもん」。天保15年1月25日死去。
宝山左衛門(3代) たから-さんざえもん
1859-1914 明治-大正時代の歌舞伎囃子方(はやしかた)。
安政6年生まれ。2代宝山左衛門の子。父が6代望月太左衛門を襲名したとき,3代宝山左衛門を相続。ただしい読みは「ほう-さんざえもん」。大正3年2月11日死去。56歳。本名は田中春吉。前名は福原百之助(3代),福原鶴三郎(2代)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
宝 山左衛門(2代目) (たから さんざえもん)
生年月日:1835年3月21日
明治時代の長唄囃子方
1910年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の宝山左衛門の言及
【望月太左衛門】より
…《[新曲浦島]》《多摩川》《楠公》《五条橋》など多くの作調(さくちよう)(長唄に囃子をつけること)がある。太左衛門の襲名と同時に,2世宝(たから)山左衛門も太左衛門を襲名し,二人太左衛門時代が出現したが,1910年,山左衛門の太左衛門が没して問題は解決した。(8)8世(1891‐1926∥明治24‐昭和1) 7世の長男金三郎。…
※「宝山左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」