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福島藩 ふくしまはん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

福島藩
ふくしまはん

江戸時代,陸奥国福島地方 (福島県) を領有した藩。江戸時代初期は天領で,延宝7 (1679) 年に本多忠国大和郡山 (奈良県) から 15万石で入封したが,天和2 (82) 年転封により天領に戻った。次いで貞享3 (86) 年から元禄 13 (1700) 年まで堀田氏 10万石,同 15年以降板倉氏が3万石で在封。板倉勝達 (かつさと) は奥羽越列藩同盟に参加したため,明治1 (1868) 年三河 (愛知県) 重原に移封されて廃藩置県にいたった。板倉氏は譜代,江戸城雁間詰。

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百科事典マイペディアの解説

福島藩【ふくしまはん】

陸奥国信夫(しのぶ)郡福島(現福島市)を城地とした藩。1679年本多忠国が信夫郡・伊達郡全域および宇多郡の一部を合わせ15万石で入り成立。1682年忠国の転封で幕府領となるが,1686年堀田正仲が10万石(信夫郡・伊達郡のうち)で入封。1700年堀田氏は出羽国山形に移り再び幕府領。1702年板倉重寛が信夫郡・伊達郡のうちと上総国・三河国であわせて3万石を領して入り,以後板倉氏が12代にわたって在封。本多氏・堀田氏・板倉氏はいずれも譜代大名で,板倉氏歴代は大坂加番役を務めることが多かった。城下福島は奥州街道(仙台・松前道)の宿駅,阿武隈川の河岸場で,信夫郡・伊達郡の養蚕業の発展に伴い物資集散の拠点,商業の町として繁栄。幕末の開港による諸物価高騰の影響などで,1866年信夫郡・伊達郡一円に世直し一揆(信達(しんたつ)騒動)が発生,城下も打毀に遭い,伊達郡の幕府桑折(こおり)代官所の要請で福島藩も出兵。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加担したが,のち降伏。1870年板倉氏は三河国重原(しげはら)に移った。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

ふくしまはん【福島藩】

江戸時代陸奥(むつ)国信夫(しのぶ)郡福島(現、福島県福島市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は講学所。1679年(延宝(えんぽう)7)、幕領だったこの地に、大和(やまと)国郡山(こおりやま)藩の本多忠国(ただくに)が15万石で入封(にゅうほう)、立藩した。しかし、82年(天和(てんな)2)に播磨(はりま)国姫路藩 に転封(てんぽう)(国替(くにがえ))となり、86年(貞享(じょうきょう)3)に堀田正仲(ほったまさなか)が山形藩から10万石で入封、この堀田氏も1700年(元禄13)に再び山形藩に転封となった。02年に信濃(しなの)国坂木(さかき)藩から板倉重寛(しげひろ)が3万石で入封、以後は明治維新まで板倉氏12代が続いた。城下は阿武隈川の舟運を利用した物流の拠点として発展するとともに、生糸(きいと)ベニバナなどの商品取引が活発に行われた。幕末の戊辰(ぼしん)戦争では奥羽越(おううえつ)列藩同盟に加わり新政府軍と戦ったが降伏、1868年(明治1)、三河国(みかわ)国の福島藩飛び地の重原(しげはら)藩に移封された。当地は71年の廃藩置県で福島県に編入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふくしまはん【福島藩】

陸奥国信夫郡(福島県)福島に藩庁を置いた譜代中小藩。1679年(延宝7)大和国郡山から本多忠国が15万石で入部し成立。忠国はかつて伊達氏の本拠であった伊達郡万正寺村(現,桑折(こおり)町)に築城を計画したが,82年(天和2)播磨国姫路に転封となった。86年(貞享3)堀田正仲が山形から10万石で就封,信夫郡87ヵ村,伊達郡の内17ヵ村,宇多郡の内1ヵ村を領した。正仲,正虎と続き1700年(元禄13)再び山形へ転じた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

福島藩
ふくしまはん

陸奥(むつ)国福島(福島市)周辺を領有した藩。この地は初め会津領、1601年(慶長6)出羽(でわ)国米沢(よねざわ)領、64年(寛文4)幕領、79年(延宝7)大和(やまと)国(奈良県)郡山(こおりやま)から本多忠国(ほんだただくに)が15万石で就封し、初めて福島藩が成立した。1686年(貞享3)堀田正仲(ほったまさなか)が山形から10万石で入部、正仲のあと正虎(まさとら)と続いたが、1700年(元禄13)ふたたび山形へ移封し三たび幕領となった。1703年12月信濃(しなの)国(長野県)坂木(さかき)から板倉重寛(いたくらしげひろ)が3万石で就封し、板倉福島藩が成立した。小藩ながら譜代(ふだい)の名門、その領域は当初信夫(しのぶ)郡のうち23か村、1万0900石余、同伊達(だて)郡のうち8か村7000石余、上総(かずさ)国(千葉県)山辺(やまべ)郡のうち2900石余、三河国(愛知県)幡豆(はず)郡のうち1か村400石余であった。初代重寛から勝達(かつさと)まで12代160年間支配した。重寛から3代勝里までに福島城の修築および城下町の整備がなされた。阿武隈(あぶくま)川の舟運があり、福島河岸には米沢・会津藩の米蔵が立ち並び、城下は養蚕が行われ、生糸、紅花(べにばな)などの商品取引が活発で、上方(かみがた)、近江(おうみ)商人の進出が目だった。1788年(天明8)奥羽松前巡見使に随行した地理学者古川古松軒(こしょうけん)は、『東遊雑記』のなかで、福島城下を「町並も大概(たいがい)(よろ)しく、田畑も開け風土よく見ゆるなり」と評している。しかし藩財政は窮乏の一途をたどった。1868年(慶応4)戊辰(ぼしん)戦争では、官軍参謀世良修蔵(せらしゅうぞう)の暗殺事件が発生するなどあって、福島藩は奥羽越列藩同盟に加わって西軍に抗した。戦後藩主勝達は福島城付1万6000石を没収され、かわって会津大沼郡のうち1万7000石を与えられたが、1869年(明治2)三河国の旧領2万8000石(重原(しげはら)藩)に移封された。[誉田 宏]
『福島市教育委員会編『福島市史 2、3』(1972、73・福島市)』

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