日本歴史地名大系 「秋山城跡」の解説
秋山城跡
あきやまじようあと
春日集落の南方、標高四七三メートルの
秋山氏については鎌倉末期の嘉暦年間(一三二六―二九)には「秋山大弐公」の存在を知りうる(興福寺文書)。
秋山城跡
あきやまじようあと
秋山西部の
城主は秋山刑部丞とされ(土佐国古城略史)、天文九年(一五四〇)一条氏に、弘治三年(一五五七)に本山氏に降った(編年紀事略など)。さらに永禄三年(一五六〇)に長宗我部元親に降るが、本山氏は秋山・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報