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秋山定輔 あきやまていすけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

秋山定輔
あきやまていすけ

[生]慶応4(1868).7.7. 倉敷
[没]1950.1.19. 熱海
ジャーナリストで政治家。 1893年『二六新報』を創刊。 1902年代議士に当選したが,日露戦争直前,いわゆる露探 (ロシアスパイ) 事件に巻込まれ,代議士を辞任。その後は政界の黒幕的存在になった。

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デジタル大辞泉の解説

あきやま‐ていすけ【秋山定輔】

[1868~1950]政治家。岡山の生まれ。明治26年(1893)「二六(にろく)新報」を創刊。日露戦争のときロシアのスパイの嫌疑を受けて、衆議院議員を辞職。孫文らと親交を重ね、その革命運動を支援。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

秋山定輔 あきやま-ていすけ

1868-1950 明治-昭和時代前期のジャーナリスト,政治家。
慶応4年7月7日生まれ。明治26年「二六新報」を創刊,大衆紙として成功させる。35年衆議院議員となったが,日露戦争の際ロシアのスパイの嫌疑をうけ辞職。大正4年4回目の当選。宮崎滔天(とうてん),孫文らとまじわり,日中問題に関与。近衛文麿(このえ-ふみまろ)の新党運動にも参加した。昭和25年1月19日死去。81歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。帝国大学卒。
【格言など】過去と現在の境界はない。現在は過去の延長である,過去の堆積である(「秋山定輔は語る」)

秋山定輔 あきやま-さだすけ

あきやま-ていすけ

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世界大百科事典 第2版の解説

あきやまていすけ【秋山定輔】

1868‐1950(明治1‐昭和25)
新聞経営者,政治家。岡山県出身。東京帝大法科卒業。1893年《二六新報》を創刊。同紙は1年余で中絶したが,1900年に再刊,三井攻撃,娼妓の自由廃業等の徹底した醜聞暴露キャンペーンによって人気を博した。01年には,日本最初の労働者の集会といわれる労働者懇親会を東京向島に主催。02年代議士に当選。しかしその反藩閥的態度は政府の嫌悪するところとなり,04年にロシアのスパイ〈露探〉であるという流説をたてられ,議員辞職,《二六新報発行禁止に追いこまれた。

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大辞林 第三版の解説

あきやまていすけ【秋山定輔】

1868~1950) 政治家。衆議院議員。岡山県生まれ。1893年(明治26)「二六新報」を創刊。日露戦争の際、スパイの嫌疑を受け議員辞任。以後政界の黒幕的存在として中国問題などに活躍。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

秋山定輔
あきやまていすけ
(1868―1950)

新聞経営者、政治家。岡山県出身。東京帝国大学法科卒業。短期間会計検査院に勤務。1893年(明治26)坂本金弥(1865―1923)の資金援助を得て『二六新報』を発刊したが、資金難のため1895年休刊。1900年(明治33)再刊した。三井財閥攻撃、娼妓(しょうぎ)自由廃業などの扇情的キャンペーンによって民衆の人気を博し、都下第一の発行部数となる。1901年日本最初の労働者集会といわれる労働者大懇親会を主催。1902年衆議院議員に当選した。しかし政府から危険視され、1904年には「露探(ろたん)」(ロシアのスパイの意)デマにより議員辞職、『二六新報』も発行禁止となった。以後は政界の黒幕として活動し、大正期の立憲同志会設立や昭和期の近衛(このえ)新党などに尽力した。日中問題にも深く関係し、蒋介石(しょうかいせき)との和平工作にも従事した。[有山輝雄]

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世界大百科事典内の秋山定輔の言及

【ジャーナリズム】より

…《日本人》は高島炭鉱の坑夫の労働条件の過酷さを訴えて,いわゆるルポルタージュの先駆となり,《日本》は正岡子規の俳句再興の舞台となって国民的なひろがりをもつ短詩型文芸慣習を定位するなど,日本の近代文学に貢献した。また黒岩涙香の《万朝報》や秋山定輔の《二六新報》は,それぞれに政・財界人のめかけ囲いを暴露したり,民営タバコのもうけがしらの私行をあばいたり,吉原の娼妓を解放したりなどしてセンセーショナルな紙面構成をはかり,廉価なこととあいまって大衆的な新聞となった。とくに《万朝報》の用紙がうす桃色だったこともあって赤新聞とさげすまれたが,これは既成体制の選良層が放ったものであった。…

【二六新報】より

秋山定輔によって1893年(明治26)に創刊された日刊新聞。紙名は発行年にちなむ。…

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