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立憲同志会 りっけんどうしかい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

立憲同志会
りっけんどうしかい

日本の政党。 1913年桂太郎によって結成される。3度首相になった桂は,常に立憲政友会の抵抗に悩まされ,第3次内閣 (1912) も政友会を中心とした憲政擁護運動の激しい反対を受けた。桂はこの反対運動に対抗するため,かねてからの政党結成の計画を実行に移し,後藤新平秋山定輔らとはかり,みずから創立委員長となり,立憲国民党中央倶楽部などにも呼びかけ,13年2月7日立憲同志会を結成。

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デジタル大辞泉の解説

りっけん‐どうしかい〔‐ドウシクワイ〕【立憲同志会】

大正2年(1913)桂太郎憲政擁護勢力に対抗しようと結成した政党。桂の死後、加藤高明を総裁として正式に発足。同5年、憲政会に改組。

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百科事典マイペディアの解説

立憲同志会【りっけんどうしかい】

同志会

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大辞林 第三版の解説

りっけんどうしかい【立憲同志会】

1913年(大正2)12月加藤高明を総裁に迎え、憲政擁護運動の対抗勢力として結成された政党。第二次大隈内閣の与党となり政友会と対抗、15年の総選挙に大勝したが、翌年10月、中正会・公友俱楽部と合同して憲政会を創立。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

立憲同志会
りっけんどうしかい

大正初期の政党。第三次桂(かつら)太郎内閣下、憲政擁護運動の高揚をみた桂首相は、その対策とし1913年(大正2)1月20日に新政党結成を発表した。いわば窮余の一策であるが、内紛を続けていた国民党は、21日、改革派の大石正巳(まさみ)、河野広中(こうのひろなか)、島田三郎、箕浦勝人(みのうらかつんど)、武富時敏(たけとみときとし)ら五領袖(りょうしゅう)以下過半数が脱党して参加、政友会は数名の呼応者を除名したので、桂の政党切り崩しの目算は外れた。さらに大浦兼武(おおうらかねたけ)の統率下の中央倶楽部(くらぶ)と後藤新平、仲小路廉(なかしょうじれん)など桂派官僚が加わったが、山県有朋(やまがたありとも)系貴族院議員は首相在任間の結党に反対して不参加を申し合わせた。桂は創立委員長となって2月7日、新党の宣言を発表したが結党に至らず(11日内閣総辞職)、4月桂の発病後は大石、大浦、加藤高明(たかあき)、後藤、河野を常務委員とした。10月10日桂死去。以後結党準備が進められたが、後藤、仲小路は脱党し、12月23日ようやく結党式をあげ、加藤を総裁、大浦、大石、河野を総務とした。所属代議士93名。その主張は、桂の決めた綱領を踏襲し、皇室中心主義、開国進取の皇謨(こうぼ)翼賛、憲法恪守(かくしゅ)、教育普及、社会改良、農工商の発展、地方自治の粛正など多方面にわたり、当面急務の政策として軍備充実、対華政策、財政整理など14項目を掲げた。当初は不評判であったが、第二次大隈重信(おおくましげのぶ)内閣の与党となり(加藤外相、大浦農商務相、のち内相、若槻(わかつき)礼次郎蔵相)、総選挙で第一党となった。いわゆる大浦事件で大浦は政界引退、内閣改造にあたって加藤、若槻は留任せず、党は閣外協力を約した。16年10月中正会、公友倶楽部と合して憲政会を創立した。なお、従来からあった同志会は名称が紛らわしいので亦楽(えきらく)会と改称。[山本四郎]
『徳富蘇峰著『公爵桂太郎伝』 坤(1915・同伝刊行会/復刻版・1967・原書房) ▽伊藤正徳著『加藤高明』上下(1929・同伝編纂委員会/復刻版・1970・原書房) ▽山本四郎著『大正政変の基礎的研究』(1970・御茶の水書房) ▽山本四郎著『日本政党史』 下(教育社歴史新書)』

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世界大百科事典内の立憲同志会の言及

【桂太郎】より

…この行動は非立憲的であるとして護憲運動が全国に広がった。苦境に立った桂は政友会をきりくずし立憲同志会の組織を公表したが,結局13年2月民衆運動の革命化をおそれ総辞職した。その後政党組織化に力を尽くしたが,病をえて同年10月没した。…

【同志会】より

…大正初年の政党,立憲同志会の通称。日露戦争後政友会と妥協し,西園寺公望と交代で内閣を組織してきた桂太郎は,その第2次内閣(1908‐11)のときから,自分の意のままに動かせる政党をつくることを意図してきた。…

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